2009年08月14日
戦争と洗脳(染脳)
終戦記念日前後くらいは
命のことや
人が殺しあうことの異常さと
それを正統化してしまう狂った世界があったことを
心に刻んでおきたいね。
沖縄においての太平洋戦争の歴史は
内地ではその事実はおおよそ伝えられることはなく
64年たった今でも温度差を感じずにはいられません。
沖縄在住時に感じた、
言葉にはならないヤマトンチュへの一種独特な思いは
世代が代わってもDNAが引き継ぎ
深くて悲しい溝をつくっている場面は今も沖縄社会のいたるところであります。
誰か特定の人が加害者ではなく
みんなが加害者であり、被害者でもある世界に引き込まれていったのです。
犯人探しは空しく
それに使うエネルギーの分だけの意味は、あまりないと思う。
人間はもともと善なるもの。
その感覚を染め替えられることがないよう、
普段から
自分が自分であるように
願いをもって暮らしています。
できることは
自分の足元の確かさを保つことかな。
この10数年、いろいろな“外へ向けての運動”もしてきたけど
今、思うことは
日々の生活のなかでのささやかな調和の積み重ね、それにつきるなぁって。
自分で考え
選択し
行動する
あしたも
あさっても。
命のことや
人が殺しあうことの異常さと
それを正統化してしまう狂った世界があったことを
心に刻んでおきたいね。
沖縄においての太平洋戦争の歴史は
内地ではその事実はおおよそ伝えられることはなく
64年たった今でも温度差を感じずにはいられません。
沖縄在住時に感じた、
言葉にはならないヤマトンチュへの一種独特な思いは
世代が代わってもDNAが引き継ぎ
深くて悲しい溝をつくっている場面は今も沖縄社会のいたるところであります。
誰か特定の人が加害者ではなく
みんなが加害者であり、被害者でもある世界に引き込まれていったのです。
犯人探しは空しく
それに使うエネルギーの分だけの意味は、あまりないと思う。
人間はもともと善なるもの。
その感覚を染め替えられることがないよう、
普段から
自分が自分であるように
願いをもって暮らしています。
できることは
自分の足元の確かさを保つことかな。
この10数年、いろいろな“外へ向けての運動”もしてきたけど
今、思うことは
日々の生活のなかでのささやかな調和の積み重ね、それにつきるなぁって。
自分で考え
選択し
行動する
あしたも
あさっても。