2015年12月27日
誰もがもっている、自分の中にある神聖なところ
子どもの時の家庭環境は信仰とは無縁でした。
今も特定の宗教には関心がありません。
でも、森羅万象に人間を超えた存在を感じることはたまにあって、このどうしようもない人々の営みや性(さが)や縁(えにし)や運命を思う時、どうも、神仏?と “わたし” が相談し、シナリオを描き、この世に生を受けたように思えるのです。
登る朝日や山登りの前や、夫の朝の出掛けに手を合わせることはあっても、日頃、神仏をあまり意識していないので、1年のしめくくりくらいは、近くの神社で、この1年のお礼を。
ご近所の小倉神社
もうお正月のお飾りも。
灯籠にも火が灯りました。
天王山から見た小倉神社。
いいでしょ? トトロが隠れてるよ、きっと。
この神社の裏手には、こんな場所があります。
ふーん。
私には書かれていることは理解しにくいけど、
まぁでも今の世の中で、科学者とか専門家とか言われている立場の方々は、特に謙虚に研究と向き合う必要があると思いますよ。
科学でわかっていることって、真実の何百分の一やと思うから。
特に行き場のない核のゴミをどんどん出してしまうような原発を、
しかも電気は原発を動かさなくても足りてるっていうのに、
しかもしかも、実は電気代も安くは上がっていない結果になっているにも関わらず、
再稼働するだなんて、
それを後押ししている“専門家”や政治家や企業人も、ちょっとは自分の中の神聖なところと会話してみたらどうどす。。。。。
あ~あ、
怒らんとこ思たのに、年の終わりに言うてもた。
よきお年をお迎えください。
2015年12月24日
聖夜に。
9年前のカールくんと。
カールもだいぶん大きぃなったなぁ・・・
(ほんまでっか?)
http://okinawaaoihoshi.ti-da.net/e1227704.html
♪もろびとこぞりて♫の歌詞に、
この世のやみ路(じ)を 照らしたもう
たえなるひかりの 主はきませ~りぃ~
主はきませ~り~ 主はぁー 主はぁぁー きませり~
というのがあります。
水を差すようですが、
今、こんなに理不尽が渦巻く世の中にあっても、
どこか遠くの空から、マントかなんかを羽織った救世主が現れるわけでもなく、
白い羽の生えた、やさしい天使が舞い降りるわけでもありません。
「主」というのを「ぬし」と読み替えてみる。
「ぬし」には、自ら決定するという意味もあるらしいよ。
今日くらいは
食事を1回抜いて
地球のあちこちにまで心を広げ
祈るとするか。
Happy Christmas



2015年12月23日
「おおきな木」の愛のカタチ
おととい、ひよちゃんhttps://www.facebook.com/earthkitchen.tamaya?fref=tsと電話していた時に、「おおきな木」という絵本の話が出ていた。
この物語に出てくるりんごの木のように、人間はあそこまで与えっぱなしの人生を送れるのか?と二人で考えた。
とりあえず、
あたしはムリ!!
無理 無理 無理!
でも稀に、“特定の誰か限定”で、
しかも、
“期間限定”でなら、
ちょっとそれに似た気持ちになったことは、過去にあったように思う。
(なんと、“限定”の多いことよ・・・

この本の翻訳者の本田錦一郎さんのあとがきに、ひよちゃんと話したことの答えが一つあったように思った。
「愛とは第一に与えることであって、受けることではない」
~省略~
しかし、「与える」とはなにか。
なにかを断念することか、奪われることか、あるいは喪失することか、いや、そうではないとフロム(「自由からの逃走」の著者)は言う。
「与える」ことは人間の能力の最高の表現なのであり、「与える」という行為においてこそ、人は自分の生命の力や富や喜びを経験することになる、と考える。~省略~
りんごの木が、ただひたすら喜びだけを見出していたことに、読者は注目すべきである。
今の自分には無理でも、このりんごの木のような行いに憧れをもち、りんごの木の気持ちを想像してみた。
そうすると、少年にりんごを全部もぎ取らせた時は残念な気持ちにはならなかったし、家や船をつくるために枝や幹を切らせた時も、「しゃーないな」みたいな気持ちを感じただけやった。
なんでそんな気持ちでおさまったかな?と思ったときに、
りんごの実をつけられたのは自分ひとりの力じゃなかったし、木が大きく育ったには訳があり、家や船になるための人生(木生?)だったんだなと思ったからやと思う。
それどころか、残念とか悔しいとか言うより、どっちかというとポジティブな感情をもった。
「あー、これでやっと役目が果たせたかな」というような。
その木は、どっかの深い森で人間と会うこともなく、ひたすら光合成を繰り返し、動植物たちとだけ遊んで、木生を終えていくようなシナリオじゃなかっただけ。
この木は、この木として生まれた役割を最大限に果たせた安堵感を味わっているように感じたよ。
あ、
こんなん書いてたら、いつもの大きな木に会いに行きたくなった。

秋に歩いた森のなかで見つけた、切り株の上に生えた天使。
2015年12月20日
「そろそろピッツア日かな。」
百姓屋敷わらを営んでいた頃、何か勘違いしていた私は、いっさいの責任を背負ってると感じていて、神経がピンピンに張り詰めるような状況がよくありました。
機嫌がナナメになってくると、スタッフ同士が厨房でささやくのです。
「そろそろピッツア日かな。」
好物のピッツアを食べさせておけば、ちょいと気持ちに隙間ができることをスタッフは知っていて、風向きがあやしくなると黙って小麦粉をこね始めたものです。

あの当時は今よりもっと色んなものがハンドメイドでしたから、自家製酵母でピッツアの生地をこね、寝かせ、成形して、ピッツアになって食べられるのは3日後くらいですから、
「ピッツア作りますからね~」と言ってもらってから、じっと我慢の子でいなければならず・・・・・
忍耐力が養われました。

今でも高温で焼くピッツアは家では真似できないので、よくピッツア屋さんに行きます。
この日は京都市北区のPizza Pazza Italianaへ。
http://tabelog.com/kyoto/A2601/A260502/26017710/
ミシュランガイドにも登場したというお店なんやて。
ピッツア職人としての誇りをもっているオーナーさんは、おしゃべりも止まりませんぞ。(*´∀`*)
京野菜をふんだんにトッピングしたピッツア。
もちろんおいしかったのですが、ナスは一度オリーブオイルで焼いた方が、パサッとした感じがなく、ツヤと風味が感じられるかもよ。
夫さま。
次に暮らす家には是非とも、石窯をおつくりあそばして~


2015年12月16日
羽生結弦選手の活躍から“観念”というものを考えてみた
スポーツはほとんど興味がなくても、羽生結弦くんはスゴイなぁと思う。
なんでも、最近も驚異的なスコアを叩き出して、その世界記録をまた自分自身が塗り替えるという、歴史的な記録更新をしたんだってね。
スケートを始めるきっかけのひとつは、2歳の頃から発症した喘息の克服のためやったんやて。
肺を大きく開いて息を吸い込むことができなかったから、練習時にマスクを着用することなどで心肺機能を上げる対策を続けてきたらしい。ウィキペディアさんが言うてはった。

ユーチューブをいくつか見ていて、ついつい心理的観点から思ったのだけど、この人の勝利の要因は、バルセロナで開催されたグランプリファイナルのスコア発表という世界が注目しているシーンでも、くまのプーさんを抱っこしているような、あの自由さにあるんじゃなかろかって。
あのプーさん抱っこのシーンを見ていて、「あ、これだわ!」と勝手に納得し、自由さや可能性を閉じ込めない環境で彼は育ったのだろうなと想像したのです。
「男は、または人間はこうあるべき」、「人間の能力には限界がある」などの概念が希薄なところが幸いし、彼にとってはスケートに限らず、多くの人が観念的にもっている[壁]がないのかも。
私は子供の時に、「お前は体が弱い、他の子にできてもお前はできないで当たり前。」とか、学校で楽しいことがあって親にうれしそうに話すと、母親は「そんなに笑うな。明日はどんな悪いことがあるかもしれん。」と言うような環境で育ったので、子供は簡単に、もっとどんどん軟弱で卑屈になり、神経質にもなっていきます。
そうなると可能性を伸ばすどころの話ではないのですが、親には親の“観念”があって、実は・・・ 恐ろしいことに、それが子供にとっての「助言」だと思っているのです。
日常で起きるいろいろなことや、心にひずみをもった様々なクライエントと対峙していて感じることは、自分(特に保護者や教師)の固定的な観念を、そのまま他者に対してあてはめていくのは、ある時は人の一生をも左右する要素があるということです。
気をつけよう。
我が家のプーさんはエプロンが黄色くない。
10年前に、他の場所で捨てられそうになっていたプーさんを持ち帰って、あーちゃんがブリーチしたから。(T_T)
洗濯されて、目まで茶色くなってしまったプーさんは、あの時拾われて、しあわせだったのかなぁ・・・・・
2015年12月14日
野口法蔵師出席の坐禅断食会 2016年1月9日申し込み締め切り
12月16日追記
以前のご案内にありました、1月23日の1日のみ参加という設定はなくなったそうですのでご連絡します。




先日の記事、「野口法蔵式 坐禅断食会」についての追加情報です。
申し込み締め切りは1月9日だということなのでご注意ください。
ご参加の方は1月22日の朝から、水とお茶だけで過ごされてご参集くださいね。
あと、胃の弱い方や重篤な病気がある方などは、事前に上田師までお問い合わせの上、ご参加を決めてください。
年の始に宿便を流し、
ついでに心に積もった不条理な観念もいっしょに流し、
晴れ晴れとした心とからだで、新しい年をスタートしましょう

2015年12月13日
手作り雑貨のお店 hanna
京都府長岡京市にオープンした「手作り雑貨のお店 hanna」は、地元作家さんを中心に、真心込めて作られた作品が並ぶお店です。
お店づくりにはオーナーさんの想いがつまっているものですが、hannaさんには、個性ある作家さんたちの作品がたくさん置かれているので、その作品たちの存在感によって、お店の雰囲気が出来上がっている感じです。
お店の二階では、様々なセミナーやワークッショップを体験できます。
近いところではこれ!

やわらかなムードの中、リラックスして過ごせます。
クリスマスプレゼントに迷っている人も、
是非、覗いてみてね。
手作り雑貨のお店 ハンナhttps://www.facebook.com/zakka.hanna/timeline