2018年10月28日
貼紙
滝に打たれて
悟りをひらけるなら、
鯉だってハゼだって、悟り、ひらくよ。
修業ってのは、
どんな時でも、上機嫌でいること、
人にやさしくすること、助けること。
それが修業。
生まれてきた理由なの。
今月の我が家のトイレ標語。
ひとりさんの講演の中で印象に残った言葉です。
だいたいが
貼紙の多い家なの。
でも、みんなも貼紙で育ったでしょ?
『ローカは走るな!』とか。
大事なことは、
いつも目につかないと
あれやこれやの日常においては
つい忘れるからね、人って。
2018年10月20日
嗅覚が復活!
今年の1月、インフルエンザで嗅覚がなくなってからは、ほんとに心に力がなかったなぁ。
お陰さまで今では8割くらいの嗅覚が戻ってきた感じです。
まったく匂いがなくなって数ヶ月たったとき、ある日ピッツア屋さんで運ばれてきたピッツアが、
。。。。かすかに香った!
ドキドキするほど嬉しくてピッツアを見ると、これまで臭くて食べらなかったブルーチーズがのっかってて。
なるほど、
強い匂いだからか?と思いながら、「匂う匂う!」と半泣きでいただきました。
それ以来、大好きになったコレ
「還暦過ぎてから骨密度も上げた人だから、嗅覚も戻ってくるよ」と、
骨と鼻の、あまり根拠のない励ましでも、
その気になってガンバれました。
ありがとう、ありがとう。
2018年10月12日
何のために働きますか?
仕事がら、
人が働くってなんぞや
仕事は何のためにあるのか
人々が喜んで仕事ができるようにするには、どうすればいいか
みたいなことを
知らず知らず考えています。
お茶碗を洗いながら目の前に見える風景は、
台風21号で、池の向こうの家の土台部分が崩れ、
土が丸見えになり、危なっかしい家の様子でした。
ところが1日、2日と経つにつれ、
以前より立派なブロックが組まれて、
今日は仕上げ段階に入っていました。
ホッとしながら、
職人さんたちの手際の良さに見惚れ、
「3人のレンガ職人」というイソップ童話を思い出しました。
旅人が道を歩いていると、レンガを積んでいる3人の職人に出会い、「ここで何をしているのですか?」と尋ねます。
1人目は「レンガを積んでいるのさ」と答え、辛くて不公平だと考えていました。
2人目は「大きな壁を作っているのさ」と答え、家族を養うために仕事があることに感謝していました。
3人目は「歴史に残る偉大な教会を作っているのさ」と答え、教会の完成をイメージし、そこに訪れる人々の幸せまで考えていました。
最近、セミナーで初めてこの寓話を紹介し、
どの職人さんも、自分が選んだ考えだし間違いでもありません。
どんな思いで働くかは、みなさんの自由だよ、と言って終わりました。
そうや。
自由なんやで。どう考えて働こうと。
2018年10月08日
孤独を好きになると自由ですよ
また、愛想も可愛げもないことを言いますが。
私は一人っ子で育ったこともあり、
小さいときから「ひとり遊び」に慣れているせいか、
おとなになってからも、ともだちが欲しいとか、話す人がいなくて寂しいとか、強く思うことはありませんでした。
小学校の時も、ともだちと連れだってトイレに行くとかが苦手で、テレビの話に混ぜてもらえなくても平気でした。
いや、ほんとに。
「混ぜてもらえなかった」という自覚もあまりなかったので、クラスメイトがやってることに興味がなかったかも。
だから村八分でも落ち込むことも、ふてくされることもなく、
もっと正確に言うと、仲間外れにされているのを感じる能力さえありませんでした。(^_^;)
当時は、
人間社会で何が起こっていても
平気だったのです。
それは、いつも言葉以上の
こころ
通わせていた存在たちがいたからなんだ。
自然は偉大です。
無条件の愛を差し出してくれているのが
こどもの心にはわかっていましたから。
おとなになる過程で、そんな童心にいろんな手垢がつき、
時に、恐れや不安にさいなまれるけれど、
それでも、あの頃感じた絶対的な安心感は今も心の底にあります。
ひとは
ひとりでいても
ひとりではありません
母が入院する前に、白菜の種を蒔いていたら・・・
なぜか、アマランサスが生えそろっていた。 ???
白菜よりアマランサスを食べなさいってことか。
いくつもの台風に耐えてくれた“甘長”
焦げ目をつけて焼くだけで、ひやおろしのアテにいいわ~