2013年10月31日
南丹市へ
方向音痴の強き味方、カーナビゲーションをつけてからというもの、あたしの行動範囲は広がった。
というか、ますますひとり気ままにプラプラできる、というわけ。
今日はオシゴトで、南丹市へ。
ここでの仕事を選んだのは、何と言っても♨ ♨ ♨ 。
仕事の後のオタノシミができますもの。

午前中、まずはお仕事。
本日のセミナー会場はこちら・・・ のはず。。。。。

・ ・ ・へ?
ここで間違いないの?
なにこれ?!
カワセミ?
なんでこんなとこに いたはんの(?_?)


また、ごたいそーなとこどす。。。
でも間違いなく、ここが本日の就職支援セミナーの会場でした。
今日は参加人数が少なく、ひとりひとりのキャリアコンサルティングの形式もとれ、反応上々でほっとして、
いざ、温泉へ!
ひよしダムのそばの温泉で、

久々にちょっとゆっくりあったまることができました。
この頃は少しずつ、心の荒波がおさまりつつあるのを感じています。
「おさまる」というより、あきらめた という感じかもしれないけどね。
「あきらめる」といのは、それほど悪いことでもなさそうで、
「明らかになる」という意味も一方ではあるらしい。
まぁ
そんな感じで・・・ やるしかないから。
2013年10月24日
何ができるのか
昨日の続きです。
今日の京都新聞。

うーん、ボケて記事内容は読めないのですが、
トラブル続きの東電の汚染水対策を監視する原子力規制委員会への批判が強まる可能性もあり、田中俊一委員長は23日の記者会見で「天災のような状態が起こればいろんなことが起こる。しょうがないことが起きた」と述べるにとどめた。
と、書かれています。
「しょうがない」と言われたまま、降る雨の音を聞いている地元の方々や、この天候のなか作業に携わっている人々の気持ちを思わずにはいられないのです。
今、わたしたちに何ができるんだろうって思いながら、とにかく、このことも記録をしておこうと思いました。
2013年10月23日
自然災害として紛らわすことなかれ
大きな台風がまたやってきています。
今年はこれまでも、日本中で大雨や竜巻などの被害が多くでているけれど、
フクシマでは「処理不可能なゴミ」を大量に抱えたままだから、他のどこよりも堅実な対策がとられているはずでした。
10月21日 朝日夕刊
~『汚染水 堰六ヶ所基準超え』の記事~
この国の総理大臣は、「汚染水はコントロールされている」ってまた、語ったらしいけれど、ひとつの覚えた言葉だけを話す九官鳥じゃないんだよ、しっかりしてください。
雨水であふれた汚染水は、海へ
果てしなく流れていくんだよ。
素直に
シンプルに考えてみたい。
2013年10月19日
仕事に助けられて
高くて荒い人生の波も?、揺れに揺れていると、「揺れてて当たり前」のような感覚になり、
それにかなり凪に入ってもきて、落ち着きつつあります。
おかげさまです。 ほんとうに感謝です。
ここ12~3年こんな繰り返しだったけれど、お金を払って行く相談所や医療機関以外、他人に話すことはほとんどありませんでした。
でも今回は「辛い」と言ってみた。
人に助けも求めた。 初めてやってみた。
で、実感したことは、
とても楽になったし、助けられたってことです。
もうあれ以上、一人では無理だったし。
そんな中でも、助けられたものの一つに「仕事をもっている」ことは、とても大きな支えだったし、仕事をしている時は気分を切り替えられたので、スクッ!としていられた感じがあります。
社会に参加し、対価をいただける仕事があることは、自分が自分でいられる場でもあるんだなと思いました。
そのわたしの仕事と言えば、就職支援・キャリアカウンセラーなんだから、そりゃあ、これからの仕事にもますます身が入ります。
週明けからも心を尽くし、智慧を絞り、
求職中の方々とアホ言いながら笑って泣いて、寄り添って伴走、
ガンバルぞ~

2013年10月12日
自分で書いた人生のシナリオ
これほどにも、難破しそうなほどの“人生の宿題”を設定してたんか? あたし。
今、まさに一気に荒波が押し寄せてきている感じです。
正気を保たなきゃと意識しつつ、
やったことのない難問にとりかかっています。
一度にやってきた父と母の別々の課題。
そして他には・・・ まぁ ・・・ 長年持ち越してきたあの件です。
大きなショックは一晩で体にでました。
眠れないふとんの中で、胸のあたりにピリッとした痛みを感じ、
もう眠るのをあきらめて朝を待ち、
胸元を見ると、ヘルペスで真っ赤。
でもね、こんな時は尿療法ですよ。
2日で痛みはとれ、今は赤みが残るのみ。
こんなふうに難題も解決していくんだ と固く信じてる。
それぞれに全く異なる問題ではあるけど、
時には、専門知識や、経験豊富で厚きご人徳をもった方々にも相談しながら、誠実に、具体的に動いていくだけだな。
ふと、
沖縄でお世話になった“京子さん”を思い出します。
会社の社長をしていた京子さんのご主人が看病の甲斐なく他界され、
残されていた数億円の借金があることを、その時教えられた京子さん。
夫はいない、多額の借金の返済、社員への対応・・・
何日も何日も、やったことのない仕事やお詫びや、お願いやらで追われまくられながらも、一円でも稼ぎ出そうと、どんな仕事でもやった彼女は当時50歳くらいだったか。
それから5~6年後に沖縄に移住した私は、深夜のそば屋さん(沖縄そば)で聞いた京子さんの話しに、仰天した記憶があります。
もともと、子どもの時からしっかりと親に愛されて育ったことがすべてのベースにあるから、「何があっても自分は大丈夫という確信があった」と振り返られた後、
「あの時ね、みーんなが、京子さんタイヘンだね、とか、あんなータイヘンなこともあったもんだねーとか口々に慰めてくれたんだけど、 あれっ!、そうか、こういうのをみんなはタイヘンって言うんだぁ!ってわかったさぁ!」
と、ウチナーグチ(沖縄弁)で言い、ガハハ と笑ったかと思うと、
「あおいちゃん、テビチも食べるね? コラーゲンたっぷりよ~」と言った京子さんの話し方までも、
私は一生、宝にしようと思ったことを思い出しました。
そうだよね、京子さん。
“タイヘン”なことが起きていても、実は生まれる前に、自分で書いた人生のシナリオだって、どこかで知ってるよ、あたしも。
今、ここで、ベストなタイミングですべてが起きるべくして起きている。
そしてこれを乗り越えた先は、命の根っこを深くおろし、ゆうゆうと自然の営みを心から慈しみながら生きることができるんだ。
そう、
どんなに辛くても孤独でも、
私自身が望んだ人生の一幕が淡々と展開されているだけのことです。
あ、
そう。
今、この時を救ってくれていることがひとつあります。
それは長年の希望だった、絵本の出版です。
20日が締切なので、このことにかかっている時間だけは救われています。
一緒に絵本作りに参加してくれているお3人さま。
実はまぁ、あたしは今こんな環境におります。
でもね、きっとあたしも5年後には、通りすがりのような誰かに、テビチをおごってあげられるようになっていたいと願っています。
お陰さまで、絵本は今年、やっと世にだせそうです。
おかげさま おかげさま


2013年10月05日
命の種が落ちたところ
わたしの父も母も、学問や文化的生活とはおおよそ無縁の人たちです。
もちろん死生観とか哲学とか、世の中の情勢なんかには、居眠りこいて“鼻チョーチン”。
そんな両親から生まれたわたし。
もの心ついた時から諸行無常を感じ、その切なさに押しつぶされそうになりながら、変な幻覚に悩んだ小学生でした。
でも、わたしは母親に似て強かった。
「こんなことで飛んで行ってしまってなるものか」と思ったかどうかはわからんけど、
子どもながら、必死に地に足をつけてガンバッた。
地球の引力を信じたかった。
普通に、
お友だちと同じように、何でもない顔をして学校にも行けた。
で 今、
あの時、
まだ乳歯が残っている歯を食いしばることなく、心のままに “飛んで行って”しまっていたら、今、どうなっていたのかなと ふと思う。
それはそれで人生があったんやろけど。
今ここが、わたしの選んだ人生だったってこと、だよね。
先月は父の散髪をしました。
また明日からも帰省。
仕事をもちながら、このペースはちょっとキツイです。
わたしに、車で2時間は離れて暮らして、と希望した母の「美学」に沿うことがいつまでできるかな。
幼い時から
母の気に入る服を身に着け、
母の気に入る言い回しを練習し、
目立たず、でも隙のない気配りをし、
とにかく、人様に恥ずかしくないように生きる。
わたしにできるギリギリまでやってみたけど、無理。
でもそのかわりになることは、精いっぱいやってきたはずだけどね。
これ以上どんなふうにがんばれば、認められるのか、肯定されるのかと切なくなる。
2013年10月02日
収穫の季節
実りの秋。
今年も収穫の季節に入りましたよ。
東北山形では、今が稲刈り真っ最中だとか。
和歌山では稲刈り後の田で、
神さまがかくれんぼ しはったのかな?

“収穫”は畑以外のところでもありました。
我が夫。
昨日は新しい仕事場の辞令交付の日。
そうです。
56歳にして また 転職です。
しかも、インタープリターやエコインストラクター、他にもなんちゃら かんちゃらの野外活動関係の資格や経験を山盛りもっている夫さまは、定年退職前になり、ようやく天職を授かりました。
関わっていただいた皆さまのお陰さまです、ほんとうに。
思えば、多くのエネルギーを費やし長年、先行投資(夫本人はそうは思っていない。)をしてきました。
6年前、三重の山奥の自然学校で学びたいと言った時には、あたしはハタラク決心をした。
48歳で東証一部上場会社に正社員で就職し、学生をやっている夫に仕送りをしました。
労働時間がやたら長い職場に毎日通勤するには、余計なことを思ったり話したりする暇はなく、家と職場の往復のみで、心がガサガサに乾いていたような気がします。
そのころから数年経過し、
彼は高い倍率を突破してようやく、大好きな環境で働けることになったのです。
職業人生も残すところあと僅か。
ここへきて、逆転ホームランみたいな就職でしたね。
これもひとつの“収穫期”だったからこその結果だと感じます。
日々、就職支援の仕事をしていて思うことは、どんな環境であってもあきらめる必要はないっていうことです。
誰しもできない理由は山ほどスラスラと出てくるけれど、「私はやれる」という決意はなかなかし難いものですね。
でも、「決心する」ということは全ての始まりで、そして自分の中の可能性を集結する号令のようなもの。
採用担当者の心を動かすのは、『熱意』と『決意』なんだと思います。
具体的に個人相談をされたい方は、私も理事をしているキャリアコンサルタント・ネットワーク・京都(CCNK) http://npo-ccnk.jp/ で、キャリアコンサルティングが受けられます。
初回無料。コンサルタントの指名はできかねます。
どうか皆さま、実り多き収穫の秋をお迎えください!