2018年09月23日

「心の復興」








「いつになるんや?」
母の退院の準備をあれこれしていたとき、
母が退院する日はいつかと、施設の職員さんを介して電話で訊いてくる父。

日にちを告げると今度は
「いつ迎えに来てくれる?」

本当は母も、すぐに家に帰るのではなく、
父がショートステイでお世話になっているサービス付き高齢者住宅にいったん移り、からだを慣らしてから帰宅した方が良いという周囲の提案を却下し、
「家でお風呂に入ったり、家でゆっくりしないと治らない」と言う。

父も母も、自分が理解しているだけのことを、実際の自分はできないことがわからない。
だから二人とも揃って、家へ帰ると譲らないんだな。

でも母に「家でゆっくりしないと治らない」と言われれば、無理に「せめて3日でも施設で養生」を押しきれず、2人を家に連れ帰り、
また何からなにまで世話をすることとなる。


おまけにこの時期、
人生初の法律に絡んだ課題を解決する時期と重なり、一人の歩行が困難な父を伴い、裁判所に出向きもした。
これは、限界集落である故郷の未来に関わることでもあり、役所からの依頼でもあるので実行しない訳にはいかない。
しかし・・・
法律とはなんと容赦なく立ちふさがるものなのか。

母が救急搬送されてから20日間の疲労と、
公的事業の進展を阻むものの複雑さと、
この四面楚歌をどうやって解決するのかという厚い壁を目の前にして、めまいがした。



今日は久々の骨休みをとり、たまった新聞を読みふけっていると、
見つけたのはこころの師匠、野口法蔵師の記事。

           2018、9、21朝日新聞より

タイムリーにも「心の復興」かぁ・・・・・


記事は災害で亡くなった方の鎮魂と、その遺族の心をたてなおす一助としての法蔵師の活動紹介だった。
これを見て、
今、私が経験していることくらいで心が折れていられんのじゃない?と思った。

幸いにも、少しの間でも仕事に戻ると、自然にニコニコ笑っている自分があり、心も姿勢もシャキッとする。
ありがたいな~、今の仕事。
自分でも、大好きなんだなと思う。


あ、
それにしても法蔵師の記事、19日から始まり21日まで掲載されたみたいだけど、20日の新聞がどこを探してもない。
もしかして気づかずに、てんぷらの油取りにでも使ったか?

        ・・・・・・・ もったいない。ik_70










  
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Posted by やまさき あおい at 13:59人生の午後&メメントモリ

2018年09月10日

怒涛の9日間





これはわたしの日記だからやっぱり記録しておこう。

8月31日夜間、突然、実家の隣町の総合病院の医師から電話あり。
母が救急車で搬送され、今は意識があるもののいつ亡くなっても不思議ではない状況が起きているので、ついては延命処置についてどうするかという内容だった。

普段の母の様子からは予想もできないことを僅か5分程度で話をされ、驚きと不安で心がいっぱいになり、悲しささえ感じず頭が混乱した。
でも、回答なしでは医師も困ると察することができ、とりあえず私が到着するまでに、ことが起きたときの希望を伝え、取るものもとりあえず3時間余り車をとばして病院へ。

母の病状もさることながら、母に生活を依存していた父がどうしているかが大いに気になった。
22時半ごろ病院に到着したときには、適切な処置のおかげで、危険な状態は少し落ち着いていた。
父をひとりにできないので、夫が家で父の様子をみるために帰宅し、私は病院の待合室で朝まで待機。

翌朝、母は手と胸にチューブ、口には人工呼吸器をつけながらも、「検査時間が長い」と文句を言うまでになっていた!
足腰立たずとも、口だけはいつも達者。周囲の者のため息を誘うほどに。
でも一時血圧の高い方が80ほどになっていたことや、おしゃべりしていても程なく亡くなるようなこともあるらしく、担当医師の表情は硬かった。

【1日、2日】
救命センターの医師や看護師が皆とても親切で有りがたい。
母は熱があるものの、よくしゃべる。
投与された薬の影響もあり意識がトリップ?しているのか、これまでにないような突飛な会話の内容に不安になるが、とにかくあれこれしゃべる・・・

母の病院に通いながら、父が入所できるサービス付き高齢者住宅を探すために電話をしたり尋ねたり。
引っ越しの準備と諸手続きに奔走する。
母の治療費、父の入居費などの費用の段取り。
2日昼過ぎ、夫は仕事で京都に戻る。

父、母ふたりそれぞれのことについてケアマネさん、ヘルパー派遣会社の方への連絡、相談。
母入院先の病院までの往復や、後から後からやるべきことが噴出し、1日に100kほど車を走らせる日が続いた。
父のショートステイ先が見つかる。
睡眠不足でキツイ。
夢の中で諸手続きや用事をして、実際は実行していないことがわかったりで、なおさら捗らないことが起きる。
寝ていても電話が鳴らないか気になる。

【3日】
25年ぶりの大型台風がくるとのことで、台風対策。
田舎の百姓家はやたら敷地が広く、農作業の器具や生活するための道具などが、大きなものから小さなものまで、だだっ広い家や農地のあちらこちらに放置されていて、卒倒しそうになりながらも片づける。
他へ飛んで迷惑をかけそうなものが山とあるから。

母、短い時間なら車イスに座れるようになる。
救急搬送され、3日目で足を地につけられるって有りがたいことだなぁと胸いっぱい。
それでも本人は、できることになった感謝よりも、「まだできないこと」をうらめしそうに愚痴る。
相手が病人であろうが親であろうが、私の怒りもコントロール不能状態。
トイレに行って自分で用を足せるようになれれば、母のストレスも減るかな。

【4日】
台風の影響で停電のなか、父の食事や生活の支えを続けつつ、母用、父用のそれぞれの薬、着替え、入歯などなどを家の中から探し出して準備する。

猛烈な風雨で母を見舞えなかった1日。
それにしても、ものすごい風。
本州南端の町に育ち、台風には慣れているはずが恐怖でかたまる。

【5日】
母、人工呼吸器が外れ、チューブの数も減っている。
買い物、銀行、親戚への用事。
台風の後片付けは叔父と叔母が手伝ってくれた。感謝!

【6日】
父が施設には行かないと言い始める。家が良いに決まっているので、自分ひとりで家で過ごせると思いたいんだろうけど、物理的に不可能。
切なくはあるが説得する。

私自身の心身が悲鳴をあげている感じがするけど、「ここまできたんだから」と自分を励ます。普段からやっているからだのメンテナンスと呼吸法の効果を思い知る。
心の師匠も五体投地で祈ってくれ、念が届いた気がする。
目には見えないちからに頭を下げ、これまでの自分を振り返りもした。

父の引っ越しの日で、夫も再び休みをとって駆けつけてくれる。
父にとってはテレビが不可欠だし、夫がいないとどうしようもなかった。
町に一軒ある電気屋さんは、台風の影響でテレビ設置どころではない。
快くお休みをくださった夫の職場の皆さんにも感謝。
家から3往復し、ショートステイの引っ越し完了。雨がやんでいて感謝。

母の方については、関係する方々と話しリハビリを始める。
この日より、家から北へ25kの母の病院と、家から南へ10kの父の施設を往復することとなる。

【7日】
母は救命センターから一般病棟に引っ越し。
病状にも気持ちにも余裕がでてきて、持って来て欲しいもの、やって欲しいことがどんどん増える。
髪を巻くカーラーやスプレーまで希望し、体のあちこちにチューブがつながった状態でも見た目を気にしていることに気づく。
母の部屋の、ほぼ使わないだろうと思うようなモノの山の中から、母が要求するものを探し出す作業を、唇をかみしめつつ時間と戦いながら行う。
これまで、父母二人の生活のやり方を優先し、断捨離を無理にしなかったことを後悔した。
この作業で、自分は今からきっちり整理整頓しておこうと決心した。
文句を言いながらもこんなことをしてくれる子どもが、
   私たちにはいないのだから。

【8日】
父側のケアマネさんと介護リーダーさんとで、今後のリハビリメニューなどについて話す。
口周辺の表情筋と指のトレーニング、腹筋をつかった発声を入れていただきたいと希望した。
段々と父が話している言葉が聞き取れなくなってきていたので、リハビリの内容を確認すると、それらのメニューは人員不足でできないとのこと。
あちらこちらに相談し、週3回お世話になるホームヘルパーさんが、レクレーションの一環としてやってくださることになる。
これまでも私が直接チャレンジしたが、身内ではやってくれない。
専門家や他人が関わってくださる環境はとても大事だと感じる。
感謝。

家の中の片づけ、整理。
昔ながらの農家はやたら広くて、片づけは終わりがないとさえ思った。
あることも忘れ去られたような変形した衣類などを大量に出し、父母が生活するための導線確保をする。
病院に行って母のリハビリを見学し、かなりの回復を確認し驚く。
母の生命力と適切な医療の介入、関わる人々のご協力のおかげで、また元通りの生活ができる見通しができた。

そして今日、10日ぶりに職場復帰。



関わってくださった方々のお陰で、とりあえずの山を乗り越えられました。
ありがとうの気持ちでいっぱいです。















  
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Posted by やまさき あおい at 23:02人生の午後&メメントモリ

2018年01月08日

「もて爺」を考える



なぜなのか理由はわかりませんが、
20代後半ごろから、「人生は60歳からどう生きるかが大事。それは世の中の動きにもかかってくる」と思い続けていました。

私にとっては大きなキイワードを見つけたと思っていて心の中であたためていたので、ある日、当時50代半ばだった親にそのことを言ってみました。
親は「あ、そう。」と気のない返事。
気のない人にそれ以上話し続けるような内容でもなかったので、それ以来封じ込めていた話題です。
それに高齢者と呼ぶ対象となる年齢も変わってきたし、今で言うなら「65歳からどう生きるか」だね。

つまり定年退職した後、どんな生き方をしますか?ということです。



仕事先でも60歳以降の方々と一緒に仕事をしたり、相談者の中にもシニア層は多くいらっしゃいます。

私が20代の頃に「人生は60歳からが大事」と思ったのは、若いときは男性も女性もそれなりにハツラツとしていて、美しさがあります。
そして身を切るような辛さや悲しい出来事なども、若さゆえのパワーで乗り越えられることが多々ありました。

でも、55歳を過ぎる頃から段々と個人差が大きくなりはじめ、
なんと!・・・・・お顔に歩んできた日々や、その人の考え方までくっきりと出始めるのです。ik_85
年間300人~400人のクライエントさんと出会い10年の月日が流れましたが、良くも悪くも“生きざま”はお顔に表れているので、名刺よりリアルに物語るから、自分の顔に責任をもつことが年齢を重ねるごとに大事になってくるのだと感じます。


定年退職をしたのちに、日々の過ごし方に戸惑いをみせるのはやっぱり男性が多いのはお察しの通りで、それは特に都市部において起きています。
田舎に暮らすと、体が動くうちはなんだかんだと用事を見つけることができますが、仕事場を失ったこのコンクリートの町は、ただただつめた~いビル風が吹き抜けるだけのように感じる人もいるみたいです。



さぁ、そこでだ。icon04

これを読んでくださっている若い方やご同輩には、是非、素敵なシニアライフを送っていきましょう、そのために一緒に準備や“練習”をしましょうと伝えたいの。
経済力もそうだけど、まずは死ぬまで動けるからだと、ある種の悟りをこころに灯すことかなと思うのです。

女性は将来を見据えて、そのために努力し、準備にとりかかっている人は周囲にも大勢いますが、男性はとにかく変化に抵抗する人が多く、良いとわかっていても実行には至らないために、あれよあれよといってるまに老け込んでしまい、ついには心身の元気が取り戻せなくなっていく傾向があるようです。

「悟りをこころに灯す」前にやらなきゃならないことは、自意識をぶち壊すことじゃないかな。
みんないろいろな出来事を乗り越えてきたからこそ、握りしめた観念・価値観があって当然だし、だからこそ生きてこれたんだけど、この定年退職時期のターニングポイントでは、その握りしめたものを手放さないと『次のしあわせ』が入ってこないように思うのです。


昨日、たまった年末年始の新聞を読んでいて、へえ~?という記事を見つけました。
「おっさんレンタル」という健全なface02仕組みがあるんだそうな。
これをつくった方は、
「キモイと言われがちなおっさんも、役に立てることを見せたかった」と言っておられます。
いくつになっても誰かの役に立つことって、自分が生きるエネルギーになるんですね。
ちなみに人気なのは、「人の話し、聴きすぎおっさん」http://ossanrental.thebase.in/items/5290247だそうです。
話を聴いて欲しい人が多い世の中だから、うなずけますね。

世の中に「もて爺」が出没しはじめると、国の医療費や社会福祉にかかる費用も軽減できると思うよ!(^^♪


私自身が自分に言い聞かせつつこの記事を書きながら、自立したシニアが増えるために何か自分にできることがないだろうかと模索し始めています。
でもまずは、自分自身の心身を鍛えることですね。

さぁ、今日もウォーキングメディテーションにストレッチにスクワットに農作業・・・・・・



雨の中の散歩


次の命になる種







過去の1月8日の記事
http://self.ikora.tv/e1090920.html


  
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Posted by やまさき あおい at 15:13人生の午後&メメントモリ

2017年05月05日

山の動く日きたる










 山の動く日  与謝野晶子










山の動く日来る。
かく言へど、人これを信ぜじ。
山はしばらく眠りしのみ、
その昔、彼等みな火に燃えて動きしを。
されど、そは信ぜずともよし、
人よ、ああ、唯だこれを信ぜよ、
すべて眠りし女(おなご)、
今ぞ目覚めて動くなる。


















両親の介添えや家事の合間に
今の季節の山々を見るのが
唯一の
自分が自分であるための時間です。


夜通し眠れない夜も
悪いことばかりじゃありません。


フクロウやヨダカの声が聞ける日もあれば、
夜が白々と明けていくひとときに付き合えるから。







過去の関連記事


http://self.ikora.tv/e768289.html


http://self.ikora.tv/e600217.html


http://self.ikora.tv/e111421.html













  
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Posted by やまさき あおい at 21:26人生の午後&メメントモリ

2014年09月07日

紀州の新聞 紀伊民報







和歌山県の県域紙と言えば紀伊民報さんです。

わたしが20代の頃に毎週のように“アトリエ”に集まって飲んでいた人たちも、地元で活躍されている方も大勢いて、この新聞社にもそんな方々がいらっしゃいます。


だからという訳ではないのですが、「一粒の雨の記憶」もご紹介くださいました。

まことにありがたく、感謝いたします。

やりとりのメールの中に、
「あとがきの「初老」という言葉に、初めてお目に掛かってからの時間のうつろいを感じ、妙に寂しくなったりもします。」とありましたが、そうなんだよね、もう人生は残り時間の方が圧倒的に少なくなっていて、大好きな桜の季節にはウットリしながらも、「あー、あと何回この桜を見れるんやろ~なぁ」って思っています。


メメントモリ・・・http://self.ikora.tv/e897051.html
良い死に方をするために生きてるような日々ですよ。icon12 ik_93 icon12








  
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Posted by やまさき あおい at 22:19人生の午後&メメントモリ

2014年01月17日

不戦の誓い







近頃もまだ相変わらず、
下世話な世迷い言に振り回されている自分を感じながらも、
それでもやっぱり、
自分の暮らしと同様に気になるのは、“世の中の動き”であります。


そりゃそうやろ。

結局は、
「世界ゼンタイガ幸福ニ ナラナイウチハ
 個人ノ幸福ハ アリエナイ」
ってところに通じるのかな。



さてと、
こんなことはもう、ブログには書くまい、と思いつつも、
「えっ?!」と思うようなことが、近頃やたらと目につくんどす。。。

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Posted by やまさき あおい at 07:56人生の午後&メメントモリ

2013年11月13日

赤く染まる





















不思議だなー

また秋がきてしまったなんて。



うかつやったわ。











葉っぱも赤くなり始めると、
もうその生命力は葉の色とは逆に色あせて、
周囲には穏やかになり、静かな愛そのもので存在するだけになり。









そんな葉の色と、その木のたたずまいに圧倒されると、
もう、この世に渦巻く理不尽さにも、言葉を発する勢いも失せてしまうんだよね。









あしたやれることは あしたやろう。

来年でもよいことは年が明けてからやろう。


来生(らいせい)でもよいことは、生まれ変わってからの宿題にしよーik_20
と、
いつになく 怠けた気持ちになれる今宵であります。














  
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Posted by やまさき あおい at 23:00人生の午後&メメントモリ