2019年08月31日
夏休みの宿題その4 再利用
今の時代は昔のように、夏休みは8月いっぱいじゃないのね・・・
おばちゃんは今日まで夏休みかと思っていたから、夏休みの宿題も滑り込みセーフ!と安心してたら、
滑り込んでもアウトだったんだ。
まぁ、新学期になってから宿題提出するのは昔と変わりないけど。
さて、宿題。
長らく使った食器は、ブリーチをしてもなんとなく黒ずんだままなので、底に穴をあけて鉢にします。
陶器に穴を開ける時は、穴を開けたい部分に布ガムテープを両方から貼ります。
そして、尖った釘やアイスピックなどを当て、
金づちなどで一気に、でもやさしく振り下ろすと、
こうなる。
※良い子の皆さんは、失敗しても良いもので、おうちの人に聞いてからやりましょう。
マイブームが続いている多肉植物を植えました。
2018年の夏休みの宿題
http://self.ikora.tv/e1351754.html
2017年の夏休みの宿題
http://self.ikora.tv/e1290492.html
2016年の夏休みの宿題(動画)
http://self.ikora.tv/e1222762.html
2019年08月17日
年を重ねる愉しみ その2
これは年を重ねたからなのか、
対人相談支援という仕事柄なのかわからないけれど、
初対面であっても、
その人が話す言葉が、その人の本心ではなかったりすると、
即座に、聴いている私の胸がキーンと痛くなったりします。
別にサイキックな能力は皆目ありませんが、
これはただただ
経験値と+αの何かなんだと思います。
これに加えて最近では、
目の前のクライエントが、今この問題に着手したいのか、
今はさわって欲しくないのかってことも、
ここ数年、何となく感じるようになりました。
そんな場合は、そこはスルーして、本人が言葉にすることだけに沿っていきます。
面白いのは、
スルーしたはずなのに、やっぱり以心伝心。
次にまた予約が入ったり、その人のターニングポイントに連絡が入ったりします。
こんなことっていうのは、
クライエントが自覚する悩みや私の能力などを通り越し、
「言葉」以外のコミュニケーションで双方が語り合っている
としか言いようがないことがあります。
この作業の中で、
きっとそのクライエントに合った速さと順番で
解決すべきことを浮き彫りにしていくのかもしれません。
昔、「医療を自給する」という活動に積極的に取り組んでいた頃は、誰が聞いてもわかるような根拠を大事にしていたけれど、
今、カウンセリングで時々起きるこのようなことは、理屈はわかりません。
一種のフローなのか?
子どもの頃から、他人からの評価を最優先に育てられ、
自分の存在自体が否定されるくらいに「後回し」されていたことが、
皮肉にも、
この仕事をやっていて役立つことが多いです。
そうやって考えると、
人生での出来事は、ちゃんとツジツマが合うようにできていると素直にうなずけます。
(今のあなたに起きていることも、きっと同じ。未来の良い時間のために起きている。)
毎年毎年、猛暑が激しくなる夏に思うことは、
人の悩みなら少しは聴けても
温暖化防止の地味なエコライフは
やっぱりもうちょっと派手に、
美しく、
そして大胆にやっていきたいと。
あ、
この1週間は体調不良で食べられず、1日300~600㌔カロリーくらいで十分仕事もしていたので、これはこれで省エネかな。
最近、まじめ過ぎた。
ハメはずさなきゃ。
努力して、ハメはずさなきゃ。
今日あたりから、またお酒も美味しく感じるし、
介護ツアーまでに快復できて感謝感謝。
台風前の夕焼け
今宵の月
2019年08月10日
自己反省は、相手に感謝することや褒めることより1000倍の難行です。
あ~
またまた心痛め、不眠が続いた日々でした。
カウンセラーでありながら、セルフマネージメントできなくて、
たまに眠れない日があることなどは言わない方がいいんだろうけど。
これは日記なので記しておこう。
今後また、同じような壁にぶち当たったら参考になるかもしれないし。
年を取ると鈍感力が増し、我執と、思い込みが強くなると、
「高齢者のパーソナリティ変化」の章で読んだように思うけど、
この数ヶ月の悩みも、私にとっては結構な試練でした。
「でした」という過去形なのは、
つい最近、あ~、そうか・・・という大きな気づきがあったことです。
この気づきを受け止めるには、結構な痛みが伴いました。
ところが、気づいただけでは変化は起きません。
その次に、勇気を振り絞って、
気づいたことを言動で表したことが、
気持ちの良い環境を創り出すきっかけになったのです。
その実行までの過程は、
客観的に見ても、自分の理屈や考えはたとえ正解であったとしても、
それを主張したところで、そもそもの『目的』が達成できるのか?
そんなことを真剣に考えたことです。
たとえば、「相手が納得のいかないことを言う」といった時に、
じゃあ、そのときの自分の考えは、誰が聞いても納得のいくものか?
自分の心にある感情だからこそ、相手を通して表出されただけではないのか。
相手に怒りを覚えたり、不愉快になったりするのは、
まさに自分の中にこそ、相手の困った部分と同じものがあるんだということです。
そもそも人をジャッジするような意識があまりない人は、悩みは少ないと思います。
文献や頭でわかっていることでも、
置かれた環境や状況がタイヘンな時などは、
「わかっちゃいるけど、やっちゃった」ということも起きるのが人間。
相手は変わらない。
自分の気持ちの持ち方で、自分が楽になる。
このことはハラに落とし込んでおこう。
今回学んだことは、
人間関係において、相手を褒めることや「ありがとう」と感謝することは、とても大事なことだけれど、
不協和音が起きれば、まず自分を省みることはそれ以上に大切なことで、
大きな効果もあることを身をもってしりました。
人によって違うでしょうけれど、私にとっては「柳に風」の心がけがちょうど良いことを教えてもらいました。
そして、
今回の気づきを勇気を振り絞って実行した自分に、
大好きなお花でも買って、お祝いしてあげよう。
死ぬまで続く修行、また小さな1歩前進できたかな。
2019年08月03日
持ち時間の分配
もっと自分の時間が欲しいと言いながら、
毎年、去年と同じだけの畑を借りて、
春には夏野菜を植え付ける。
6月頃には毎年、仕事に行けないほど毛虫の被害にあい、
夏になると、休みの朝は4時頃から汗だくになって草取りをし、
木酢液の噴霧、堆肥づくり、次の季節の種まき・・・・・・
わずかな家庭菜園でも植えたからには手入れをしないと、こんな住宅街では環境も悪くなるから、せっせとお世話する。
で、
あっと言う間に休みが終わる。
ぐったり。
畑仕事がやりたいことのひとつではあるけれど、
ちょっと時間を取られ過ぎ。
そうか、
来年から管理する畑を減らそう。
ん?
もしかしたら、生業としての仕事を減らすか?
難しい選択。
自由に動けるあとの時間、
何を思い、
どんなことをするの?
キャリアカウンセラーたる自分に問いかけるこの頃。
畑の芸術作品。
セクシー?(^O^)/
モロヘイヤもツルムラサキも、摘んでも摘んでもどんどん出てきてくれて、消費が追い付かず。
それぞれの特徴と美味しさを活かしてあげられるかな?
あ!(@_@)
あたしの人生みたいな紆余曲折きゅうり。
情熱のまま動き、火傷をした跡、
天に唾を吐き自分に戻ってきた跡、
言葉をのみこんだ時にできた傷・・・
このきゅうりはサラダになって、
自分の栄養になりましたとさ。