2013年10月05日
命の種が落ちたところ
わたしの父も母も、学問や文化的生活とはおおよそ無縁の人たちです。
もちろん死生観とか哲学とか、世の中の情勢なんかには、居眠りこいて“鼻チョーチン”。
そんな両親から生まれたわたし。
もの心ついた時から諸行無常を感じ、その切なさに押しつぶされそうになりながら、変な幻覚に悩んだ小学生でした。
でも、わたしは母親に似て強かった。
「こんなことで飛んで行ってしまってなるものか」と思ったかどうかはわからんけど、
子どもながら、必死に地に足をつけてガンバッた。
地球の引力を信じたかった。
普通に、
お友だちと同じように、何でもない顔をして学校にも行けた。
で 今、
あの時、
まだ乳歯が残っている歯を食いしばることなく、心のままに “飛んで行って”しまっていたら、今、どうなっていたのかなと ふと思う。
それはそれで人生があったんやろけど。
今ここが、わたしの選んだ人生だったってこと、だよね。
先月は父の散髪をしました。
また明日からも帰省。
仕事をもちながら、このペースはちょっとキツイです。
わたしに、車で2時間は離れて暮らして、と希望した母の「美学」に沿うことがいつまでできるかな。
幼い時から
母の気に入る服を身に着け、
母の気に入る言い回しを練習し、
目立たず、でも隙のない気配りをし、
とにかく、人様に恥ずかしくないように生きる。
わたしにできるギリギリまでやってみたけど、無理。
でもそのかわりになることは、精いっぱいやってきたはずだけどね。
これ以上どんなふうにがんばれば、認められるのか、肯定されるのかと切なくなる。