2024年01月08日

災害支援チーム「め組ジャパン」






北陸の冬、ライフラインも食料も乏しいなかで、震災直後に石川に入り、今日で7日目のボランティア活動をしているチームがあります。

特定非営利活動法人MAKE HAPPYの災害支援チーム“め組ジャパン”です。
このチーム、過去の災害支援活動は目を見張るものがありました。
メンバーは寄付を集めて送金するのではなく、自ら被災地に入ります。
正直、お役所よりスピード感があり、各地で災害時の支援を数多く行っているので要領を得ていることなどは心強いです。

せめて寝る時用に湯たんぽでも買って入ってください。

https://www.makehappystory.com/megumi-japan/#



  
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Posted by やまさき あおい at 16:50Comments(0)ニュース

2018年01月08日

「もて爺」を考える



なぜなのか理由はわかりませんが、
20代後半ごろから、「人生は60歳からどう生きるかが大事。それは世の中の動きにもかかってくる」と思い続けていました。

私にとっては大きなキイワードを見つけたと思っていて心の中であたためていたので、ある日、当時50代半ばだった親にそのことを言ってみました。
親は「あ、そう。」と気のない返事。
気のない人にそれ以上話し続けるような内容でもなかったので、それ以来封じ込めていた話題です。
それに高齢者と呼ぶ対象となる年齢も変わってきたし、今で言うなら「65歳からどう生きるか」だね。

つまり定年退職した後、どんな生き方をしますか?ということです。



仕事先でも60歳以降の方々と一緒に仕事をしたり、相談者の中にもシニア層は多くいらっしゃいます。

私が20代の頃に「人生は60歳からが大事」と思ったのは、若いときは男性も女性もそれなりにハツラツとしていて、美しさがあります。
そして身を切るような辛さや悲しい出来事なども、若さゆえのパワーで乗り越えられることが多々ありました。

でも、55歳を過ぎる頃から段々と個人差が大きくなりはじめ、
なんと!・・・・・お顔に歩んできた日々や、その人の考え方までくっきりと出始めるのです。ik_85
年間300人~400人のクライエントさんと出会い10年の月日が流れましたが、良くも悪くも“生きざま”はお顔に表れているので、名刺よりリアルに物語るから、自分の顔に責任をもつことが年齢を重ねるごとに大事になってくるのだと感じます。


定年退職をしたのちに、日々の過ごし方に戸惑いをみせるのはやっぱり男性が多いのはお察しの通りで、それは特に都市部において起きています。
田舎に暮らすと、体が動くうちはなんだかんだと用事を見つけることができますが、仕事場を失ったこのコンクリートの町は、ただただつめた~いビル風が吹き抜けるだけのように感じる人もいるみたいです。



さぁ、そこでだ。icon04

これを読んでくださっている若い方やご同輩には、是非、素敵なシニアライフを送っていきましょう、そのために一緒に準備や“練習”をしましょうと伝えたいの。
経済力もそうだけど、まずは死ぬまで動けるからだと、ある種の悟りをこころに灯すことかなと思うのです。

女性は将来を見据えて、そのために努力し、準備にとりかかっている人は周囲にも大勢いますが、男性はとにかく変化に抵抗する人が多く、良いとわかっていても実行には至らないために、あれよあれよといってるまに老け込んでしまい、ついには心身の元気が取り戻せなくなっていく傾向があるようです。

「悟りをこころに灯す」前にやらなきゃならないことは、自意識をぶち壊すことじゃないかな。
みんないろいろな出来事を乗り越えてきたからこそ、握りしめた観念・価値観があって当然だし、だからこそ生きてこれたんだけど、この定年退職時期のターニングポイントでは、その握りしめたものを手放さないと『次のしあわせ』が入ってこないように思うのです。


昨日、たまった年末年始の新聞を読んでいて、へえ~?という記事を見つけました。
「おっさんレンタル」という健全なface02仕組みがあるんだそうな。
これをつくった方は、
「キモイと言われがちなおっさんも、役に立てることを見せたかった」と言っておられます。
いくつになっても誰かの役に立つことって、自分が生きるエネルギーになるんですね。
ちなみに人気なのは、「人の話し、聴きすぎおっさん」http://ossanrental.thebase.in/items/5290247だそうです。
話を聴いて欲しい人が多い世の中だから、うなずけますね。

世の中に「もて爺」が出没しはじめると、国の医療費や社会福祉にかかる費用も軽減できると思うよ!(^^♪


私自身が自分に言い聞かせつつこの記事を書きながら、自立したシニアが増えるために何か自分にできることがないだろうかと模索し始めています。
でもまずは、自分自身の心身を鍛えることですね。

さぁ、今日もウォーキングメディテーションにストレッチにスクワットに農作業・・・・・・



雨の中の散歩


次の命になる種







過去の1月8日の記事
http://self.ikora.tv/e1090920.html


  
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Posted by やまさき あおい at 15:13Comments(3)人生の午後&メメントモリ

2017年01月08日

1月の畑









去年の収穫納めだったカリフラワー。
大きさ自慢のために、マウスを隣に置いた。face10






カリフラワーは脇芽は出てきませんが、ブロッコリーはこの通り。
なかなか費用対効果が高くて大満足です。
しかも去年の苗から株が分かれて育っている苗も2本あります。
皆さまにも、家庭菜園にブロッコリーはおすすめです!





こちらは葉キャベツ。
家族が少なければ、結球するキャベツより使いやすいよ。
キャベツでもここまで葉を広げて太陽に当たれば緑黄色野菜になります。





寒さはこれからが本番なので、夫さまに山の葉っぱを集めてもらって、葉っぱ布団をかぶせてあげた。
ぬくいのかどうかわからんけど、ほんの気持ちです。





うすいえんどうやスナップ豆など、春が待ち遠しいものばかりです。









【またまたコメントが入りません】
懐かしく、うれしいコメントにお返事のコメントを入れましたが、とうとう自分のものまでが入らなくなりました。

コメントが入っている人に、「どうやっていれたん?!」って聞きたいくらいです。

他にもコメントが入らなかった方は、どうぞメールでお知らせください。

たびたびごめんなさい。ik_75

ブログの引っ越しも考えていますが、せっかく10年日記になってきたので、ここで続けたいし。
でも、「コメントが入らない」というお声には申し訳なく思うし・・・・・





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Posted by やまさき あおい at 17:36Comments(3)百姓日記

2015年01月08日

健康を願うなら辻野式









食事療法士・辻野 将之(つじのまさゆき)さんと初めてお会いしたのは、沖縄に住んでいた時だから11年ほど前でしたか。

整った美形をわざわざ隠すように、頭は長髪、顔はひげもじゃで、今どきのヒッピーかなという印象でした。ik_75


その頃から、まっすぐなまなざしとこころざしをもっていながら、まだまだ何かを吸収し、自分の“道”をあきらかにしていきたいというような情熱がほとばしっていました。
こころざしを具現化するために、会いたい人を国内外に訪ねては、ご縁を重ねていたのでしょうね。

その後、ビジネスシーンで経営感覚を学んでいた頃にお江戸で会った時には、細身のスーツを身にまとい、沖縄で会ったヒッピーの面影もなかったけれど、根底に流れているものに揺らぎはなかったようで、気が付けば辻野ワールドができあがっていました。face02
http://kenko.soragroup.jp/

人がもつ夢や願いが自然のことわりに叶っていれば、天が大いに味方をしてくれる。
この人もそんなおひとりに違いない。

年末には彼の本文ともいえる、『からだと心を整える「食養生」』(技術評論社)が出ました。

・健脳×食養生
・美髪×食養生
・長寿×食養生
・三大疾患×食養生
・出産育児×食養生
・緊急時×食養生
・お酒×食養生
・更年期×食養生
・アスリート×食養生
などについて書かれています。





「一粒の雨の記憶」のご紹介も、ありがとう!
http://kenko.soragroup.jp/?cid=37140












  
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Posted by やまさき あおい at 22:13Comments(1)ご紹介、感謝です

2012年01月08日

良い/悪い










以下に、元SONYの上席常務でCDやアイボの生みの親、
天外伺朗さんのメルマガ、天外レポートNo.58  (2012/01/04)の一部をご紹介したいと思います。
ご自由に転送をとのことなので抜粋し、掲載させていただきます。





 以前と何ら変わらない日常のようでも、
カレンダーは2012年という新しいページに
なっています…でも、日本の社会は、昨年の
3月11日に古い暦が破壊され、新しい歴史に
突入したのかもしれません。

 「3.11は我々の日付になった。何かが完全に
終わり、まったく違う日々が始まる」
(池澤夏樹、朝日新聞2011.04.05)

 多くの人が放射能汚染に対する取り組みで
苦しんでいますね。

(中略)

 実際に汚染濃度が高い地域にお住まいの方は、
不安が大きいでしょうし、子を持つ母親の気持ちを
思うと心が痛みます。

 国や地方自治体も、決して手を抜いたり、
サボっているわけではなく、懸命に知恵を絞って
汚染が拡散しないための対策や除染を進めています。

 一方では、国の発表や対策は信用できないと考えて、
自ら測定し、警鐘を鳴らして、対策に奔走している
人も大勢います。

 これらの活動は、すべて貴重であり、大災害から
日本が復興していくためには、たくさんの多様な
努力が必須です。

 原発事故の収束や、汚染の拡散防止策、除染
などの実際的な活動は、もちろんとても大切ですが、
ここでは精神的な対応について考えてみましょう。

 心配で逃げ出した人や、過剰に反応している人に
対して非難めいた事をいう人もいますが、目に見えない
放射能に対する恐怖というのは、人間として当然でしょう。

 沖縄に逃げていった友人が「自分だけ逃げてしまって…」
と、後ろめたい気持ちを表明したので、「あなたの心の
平安が、何より貴重なのですよ」と、諭しました。

 不安にさいなまれている人は、それを無理やり押さえ
込もうとしないで、状況が許されるなら、不安を解消する
ための行動をとったほうが自然です。

 一方では、原発事故の直後に、放射能をものともせずに、
そこに駆けつけて被災者の援助に当たったボランテイアや
僧侶もおり、また、汚染濃度が高い中で平然と、何事も
なかったごとく暮らしている人たちもたくさんいます。

 原発からはるかに離れていても心配で移住するのも「人」
なら、汚染濃度が高い中でも平然と暮らすのも「人」です。
 いったい両者は何が違うのでしょうか?

 ここで「いい/悪い」という判断の呪縛に陥らないように
ご注意いただければ幸いです。

  放射能汚染が心配なのもきわめて人間的だし、平然と
暮らすというのも、ひとつの性根の据わった生き方です。

 「反応が過剰だ」とか、「危険性に気づいていない」などと
いう批判は、余計なお世話であり、両者が議論をしても
噛みあうはずはありません。

 人はみな、それぞれの価値観に基づいて「自分の物語」
をつむいでいく存在であり、それを人に押しつけても
何の意味もないでしょう。

 私自身は、1947年から2年間広島にいました。庭が
海に面しているという夢のような家に住んでいましたが、
大勢の若者が海水浴のため勝手に庭に入りこんできました。

 夏になると人々の裸を毎日眺めていましたが、ほとんど
の人が大きなケロイドを負っており、直接被爆していました。

 放射能の危険性も知られておらず、測定器もない時代
でしたから、野菜や米の汚染も誰も気にかけず、私の家族は
汚染だらけの食材を2年間食べ続け、それが体内に蓄積して
内部被爆も起こしたと推定されます。

 直接被爆した人たちのケアですら十分ではなく、そういう
二次的な被害まで、とても気が回らないのは、むしろ当然
だったでしょう。

 それでも、私は69歳の今日まで健康に生きてきましたし、
母親は病気ひとつせずに101歳(数え)の天寿を全うしました。

 もし、統計を取ったなら、おそらく汚染された食材を食べた
人の癌の発病率は僅かに高いでしょう。でも、統計的なデータ
と一人ひとりの人生の実感は必ずしも一致しません。

 癌は細胞分裂のときDNAのコピーミスによって起きます。
私たちがコンビニで資料のコピーをする時でも、何枚かに
一枚はコピーミスが出ますがそれと同じです。

 私たちは1日に約200億個の細胞を製造しますが、
確率的にいって数万個の癌細胞が生まれていると推定
されます。それでも癌にならないのは、その大半が自己免疫力
によって殺されるからです。生き延びた癌細胞は数年かけて
コロニー(病巣)に育ちます。 コロニーが形成されても、
そのほとんどは自己免疫力で自然に消滅します。

 矢山利彦医師は、コロニーに様々な汚染物質が集まって
くる事を「ゼロサーチ」などを使って推定しています。それらは、
農薬、食品添加物、環境ホルモン、金属、細菌、寄生虫など
多種多様です。

 それらの汚染物質があることにより、免疫細胞が混乱して
まともに戦えなくなり、結果として癌細胞が生き延びる確率が
上がる、という仮説を矢山医師は提唱しておられます。
 つまり、汚染物質を蓄積することが、癌細胞の自衛手段に
なっているらしいのです。

 放射線を浴びるとコピーミスが増えるので癌細胞の数は
増えますが、いま問題になっているレベルは、毎日5万個
が5万2千個になったといった違いではないかと思われます。
もちろんそのわずかな違いでも、自己免疫力を超える
確率は上がりますから、統計を取れば癌の発病率は
僅かに上がるでしょう。

 でも、個人としてみれば、放射線を浴びることよりも、
体温が0.1度下がって免疫力が低下することの方が、
癌の発病率には効くかもしれません。あるいは、農薬や
金属の蓄積のほうが放射線よりも危険かもしれません。

 これが、統計データと個人の感覚の違いの正体です。
統計データは、マウスなどを使って、他の条件を一定
にして放射線濃度と癌の発生確率を調べます。

 ところが、実際に生活している場面では、放射線以外
に癌になる要素は山ほどあり、放射線の影響は埋没して
しまう傾向があります。

 たとえば、自己免疫力は精神の持ち方で大きく変わり
ますから、「不安」になっている人は平然としている人より、
癌になりやすいでしょう。ただそれは、深層心理の問題
なので、不安になっている人を非難することは残酷だし、
「不安にならないように」といっても何の意味もありません。

 理性や論理でコントロールできるような話ではないのです。

 だから、不安になったら「逃げる」というのが、唯一の解決法です。
恥ずかしがらずに堂々と逃げればいいのです。内心の不安を
隠して、表面だけ平然としている、という状態は無理があります。

 逆に、まったく不安を感じなかったら、自己免疫力が活性化
しているので、少々放射線濃度が高くても癌にはならない
でしょう。だから、平然と生きるのが自然です。

 私の家族が、原爆投下直後の広島で、高濃度に汚染された
食材を食べても健康を保てたのは、当時は誰も知識がなく、
不安になりようがなかったことも幸いしたと思います。

 3.11の後の日本では、多くの苦難や葛藤を体験して、
「自分の物語をしっかりつむぐ人」が増える、
のではないかと思います。

 皆の物語に付き合うのではなく、「自分」の独自性をちゃんと
認識できる。また、「自分の物語」に人を巻き込もうとしないで、
他人の独自性や、それぞれの物語を尊重できる、という事です。

 放射能が不安だったら、堂々と逃げる。不安を感じなかったら、
平然と生きる。どちらがいいという事ではなく、それぞれに物語が
あるのだから、それぞれの価値観や生き方を尊重して、共に
仲良く生きていく、という感じです。

 ひとことでいえば「多様性が受容される社会」ということになります。

 逆にいうと、いまの社会はまだ多様性が受容されていません。  
あらゆる人が、自分と同じ価値観に人を巻き込もうと躍起に
なっています。民主主義の多数決という仕組みそのものが、
多様性を許さずにひとつの意見に無理矢理に収束させますね。

 原発の推進派と反対派の議論も、TPPを巡る議論も、
相手を粉砕する論理展開がぶつかるばかりで、私には
あまり建設的に映りません。

 私は、いずれ原発は消滅すると見ていますが、それは
社会の価値観がGDPからGNHに自然にシフトするからであり、
反対運動が成功するからだとは思っていません。

 GDP至上主義というのは、明治以来の国是の「富国強兵」
の変形であり、多くの人がまだその呪縛にとらわれています。
その信者が原発を推進するのは当然であり、原発反対の
議論をふっかけても虚しいばかりです。

 ただ、社会は着実に進化しており、若い人ほどGNHの
大切さを理解しています。いずれGDP信奉者が死に
絶えれば、原発は自動的になくなります(もっともその前に、
私自身がいなくなるでしょう)。

 国民投票などで強引に原発廃止に持ち込むという
選択もありますが、戦いの歪が残りそうです。多様性が
受容された社会では、急激な変革よりも、ゆったりと
スムースなことが好まれます。

「佳き事はカタツムリの速度で…」
(マハトマ・ガンジー)


(中略)

     一般には、放射能の不安から逃げ出した人より、
平然と生活している人の方が人間的な成長を遂げている
という印象がありますが、それは誤解です。

   「自分の物語」を生きる人は、「自分の内面」に
忠実であり、他人との比較はしません。不安だったら
堂々と逃げるし、不安を感じない人でも、感じている
人の気持ちに共感できます。自分と違う価値観の人が
そばにいても居心地の悪さを感じません。

(中略) 

   2012年も、ヨーロッパを震源とする金融崩壊の
危険性があり、極端な円高から日本の産業界が
大打撃を受けるかもしれず、日本の国債の金利が
急上昇して、日本自身がギリシャ、イタリアに次ぐ
ソブリンリスクに瀕するかもしれません。

   しかしながら、世の中がどうなろうとも、
「自分の物語をしっかりつむぐ人」は揺らぐ
ことはありません。その人が経営する企業も
びくともしないでしょう。

物語の印象はエンデイングで決まりますね。
「自分の物語」の終わりは「死」であり、それを
しっかり意識できると、物語の輝きが増します。

 逆に「死」から目をそらして生きている人は、
「死の恐怖」が無意識レベルでモンスター化して
おり、それに支配された人生になります。いま、
文明人のほとんどはその状態にあります。

(以下省略)



このブログをお読みいただいている方の中には、私自身も含め、環境保護や原発、TPP、立場の弱い様々な状況の方々への社会活動などを行っている人も多いと思いますが、
これを読まれて、何か感じたことはありますか?

知らず知らず防御や戦いモードのスイッチが入りっぱなしになっている時は、これまた気付かないまま、このレポート自体の弱点を探し始めたりしますが。(^_^;)




このレポートで私が共感し、自分のものにしていきたいと思ったのは、

 3.11の後の日本では、多くの苦難や葛藤を体験して、
「自分の物語をしっかりつむぐ人」が増える、
のではないかと思います。

 皆の物語に付き合うのではなく、「自分」の独自性をちゃんと
認識できる。また、「自分の物語」に人を巻き込もうとしないで、
他人の独自性や、それぞれの物語を尊重できる、という事です。

という部分です。

私の“自分物語”としては、かみ合うはずもない「価値観」ではあっても、それが未来の命を左右するような事柄が起きてしまった場合は、やっぱり結果がどうなっても自分としてやれることはやろうとするし、そのプロセスで起きることこそ、今、命を得ている証のように思うのです。

特に今回の原発事故なんて、
産業界が大打撃だとか、どこかの国が破たんしたとかと、
ちょっとハナシが違うと思うんだけど。



・・・・・と、また“かみ合わないハナシ”になってきた?ik_75














  
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Posted by やまさき あおい at 15:14Comments(2)震災・原発・エネルギー関連