2015年11月23日
輪廻、旅の途中
兵庫県三田市のこじゃれたニュータウンに住み始めた1993年頃から、人生に大きな変化が起こり始めました。
まだ30歳前半の時に自分たち夫婦で注文して建てた家は、お花でうめつくされた庭が見えるリビングがあり、2階のピンクのバルコニーには、鳥の壁画をアーティストに描いてもらい、玄関へのアプローチにはバラのアーチまで作りました。
夫はほぼ毎週末には、お気に入りのドイツ車でバードウオッチングに出かけるといった生活でした。
な、
信じられへんやろ、このハナシも。
もうすでにその頃、バブル期はおわっていたというのに。
で、あおいサンはというと・・・・・
まぁ、ご想像通りそんな生活に長く満足するハズもなく。。。
アーバンティックな暮らしは数ヶ月で飽き、近所の公園の法面に空き地を見つけて開墾を始め、まるで戦後の不法耕作地よろしく、勝手に種を撒き始めたのです。 ( ゚∀゚)・∵. !!
そうこうしているうちに1995年、阪神・淡路大震災が起きました。
その時はメディカルコンサルタントをしていたのですが仕事を辞め、いくつもあったバッグやスーツをリサイクルショップに出し、そのお金で一輪車や鶏糞を買いました。
おしゃれな住宅街で、麦わら帽子に長靴姿で一輪車を転がし、例の不法耕作地をどんどん広げていきました。
この頃からです。
あたしのゴミに対する意識がグンと高くなったのは。
まずは食べ残し。
食糧の自給率が35%前後なのに、この国の食糧残渣ったら、1年間に約2189万トン。
国民1人当たりだと171kgにもなります。
想像できる?
およそ4分の1にあたる27%が食べ残しや手つかずの食品というから、「なんちゅーことすんねん!」って驚くよね。
そんな事実を知ると畑でできた作物だけじゃなく、買ってきた食品やいただきものまで、大事大事にいただくようになりました。
それでも食べられない野菜のヘタとか魚のワタとかは、堆肥にしてまた畑に還すようになりました。
それ以来20数年間で7回ほどあちこちと引っ越しをしたけれど、生ごみはどこに住んでも収集車に出すことはなく、畑やプランターで次の命に巡らせています。
たまのご馳走のカニさんだって鶏肉だって、甲羅や骨は日に干して、トンカチでたたいて堆肥になります。
カニも鶏も、我が家にきてくれた命は本望なんじゃないかな?

先日、お友だちにいただいたハーブのプチ花束も、香りと姿を存分にたのしませてもらった後は、お風呂に入れてハーブバスとなり、その後は、例によってコンポストで肥料になるべく発酵中です。
春になったら、鶏もカニも花束も、みんな次の野菜たちになって、またあたしのからだに帰ってきてくれるんだ。
(*˘︶˘*).。.:*♡
そのような堆肥で育った、畑で咲き誇る皇帝ダリア。
一番奥にいるダリアが親株。
ネットで増やし方を見て、そのようにやったら簡単に5~6倍に増えた。
3メートルほどにも伸びるので、お隣や道路に花びらが落ち、お掃除がちょっとタイヘンではありますが、寒い冬に向けて、こんなに大きなピンクのかたまりは、心も桃色になります。

見えるもの
見えないもの
あなたのまわりでも暖かく巡っていますよ。 ❤(ӦvӦ。)

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