2016年03月24日

怪我の功名、考え方の転換











いや~、まいりました。
これまで体験したことのない腰痛にみまわれて今日で4日目。
動くの大好きなタイプではあっても、靴下も履けないような痛みとあらば、おとなしくしているしかないのです。



それでは!
前々からじっくり聴きたいと思っていたアドラー心理学関係をYouTubeで聴くことに。

我が家にテレビはないけど、「嫌われる勇気」の岸見 一郎先生が「100分で名著」という番組に出ていたことは知っていてたので、まずはそれからです。
昨年は岸見先生の講演もお聴きして、アドラー心理学の面白さに心ときめかせていたので、宝探しのように耳ダンボで聞き入りました。


カウンセリングを学んだ人は心理学をやる過程で、フロイトやロジャースはみっちりやったと思うけれど、私自身はアドラーってなじみがなかったなぁ。

でもこの岸見先生が書かれた本のおかげで、とてもわかりやすく、そしてカウンセラーとしても使えるメソッドだと知ったのです。



腰の痛みも忘れるほどワクワクしてきて、もっと何か聴きたいと思い、その次に選んだのは河合隼雄さんの講演「現代人と心の問題」の音声。

この講演のなかで、今の自分に(今の日本で、ともいえるかも)、つくづく大事だなと感じたのは、「あいまいさの美学」についての話でした。




一時期、石原慎太郎が「NOと言える日本」という本を出したあたりから、日本独特のはっきりしない態度を正すことこそ、国際社会に通じる日本人になる要素だといわれ始めた気がします。
このころから個人的にも、人から質問をされたらまず「はい」か「いいえ」と答えて、それから「なぜならば・・・」という理由を述べる訓練もしてきました。

今でも就職支援やキャリアコンサルタントとして仕事をする上で、このスタイルをとっているし、私生活でも、もともとアメリカンスタイルの表現方法を好む夫でもあるし、年齢を重ねるごとに、公私ともにそれが顕著になってきていたと思います。





そんな時に聴いた今日の話は、「日本人独特のあいまいな表現」や「白黒や決着をつけない態度」の裏にある、心根の深さや、やさしさと共に、
異なるものを排除せず、多様性を認める文化の味わいのある表現だったということに気づかされた気がしました。
そしてまた河合先生は、「考えの違う人との関係を切らない。」とおっしゃっています。

河合先生なら自分が話したことを、聴いた誰かが自分なりに解釈して有効に用いることは、笑って許してくださると思うので、今の私流に捉えなおすとこうなります。

人は、生きている途中はずっと未完成なままである。
感じ方も考え方も変化する。
だから、たとえ他人が自分にとっては理解不能な態度を示そうが、
今日、誰かと取っ組み合いの大ゲンカをしようが、
そもそも、それを問題に感じたあなたの考えが正しいかどうかもわからない。
そしてまた相手も、成熟途中の人間である。
成熟途中ということは、今後、その考えは変化する可能性がある。
未完成なもの同士の付き合いには“おたがいさま”の観点は不可欠で、その理解不能やケンカがひどければひどいほど、今は関係を切らず、決着をつけることは避けた方が人生は儲けもんだ。


と、理解しました。
また違うタイミングでは、違う解釈になると思うところも、あいまいさの特典かもしれません。face02


たとえば国と国の領土問題においても、ハッキリさせようとした時に両国の激しい主張のバトルになったように、白黒つけることだけが正しいことではないと感じました。
まして人間同士の問題は個人の考え方ひとつで、楽な方へより良い方へ転換していけるから、ちょいと私もアタマをゆるゆるにしよう~ik_88



1995年だったかな。
ホリスティック医学協会で河合先生が講演される舞台の司会をさせていただいた時は、「なんてこわそうな人なんだろ」と思ったけれど、今、河合先生の教えにふれるほどに、カウンセラーというよりも、文化庁長官というよりも、その人間的な大きさと暖かさが、心にしみわたります。



じっくりと学びなおす機会を与えてくれた、“かつて体験したことのない腰痛”に感謝かな。









「ハッキリ」どころか、ものも言わないし、こんなに小さいのに独特の存在感を放ってるっていいなぁicon06















  
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