2013年03月29日

働くこと 生きること









今日はシビアな話です。
ずっと誰かに話したかったことでもあります。



1年間就労支援の仕事をさせていただいた地方自治体を3月で退職し、
4月1日から、昨年まで働いていた厚労省管轄の独立行政法人に戻ることになりました。

この1年は、かねてから関わってみたかった生活保護を受給している人への就労支援をしていましたが、始めの2~3か月は、その実情の理不尽さと、ここまできているのかという衝撃で、自分自身のメンタルケアができず、眠れない夜に耐えなければならない日が続きました。

これから書くことは、高齢者や障碍者で生保を受けているケースは別の話しです。
対象者は最近増加してきた中学を卒業してから何もしていない子らや、就労出来得る環境にありながら働こうとしない人々への思いです。

「実情の理不尽さ」の多くを占めるのは、やっぱりこの制度の在り方ゆえに起きている、受給者の就労意欲の低下が一番にあげられます。
特に、母子家庭がそう。
彼女たちの就労意欲を削ぐ大きな阻害要因は、まず、同様な立場の労働者とはつり合いのとれない高額な給付額にあると私は思います。

同じ母子家庭にありながら生活保護を受けずに子を保育所に預け、一生懸命パート等で働いている母親の月収をはるかに上回る保護費の金額は、
当初、「がんばって働いて、生保から自立しよう」と思っていた人々の意欲さえ失墜させるほどものです。

働くことが趣味のような私でさえ、もしその立場になれば、だんだんと受給生活に慣れてしまい、働かなくても月々自動的に振り込まれるものがあれば、甘んじてしまうかもしれないと思うほどのものだから。
これは多分、誰にでも起きうる心情かもしれません。

稼働能力のある人にとっては制度は手厚すぎるし、管理が甘すぎるのです。

もちろん、苦しい状況にありながらも生保の制度を受けずに働いている人々が不幸で、制度利用者が幸福で得をしていると言っているのではありません。

「最低限の生活を支える」ための生活保護法によって、かえって、その個人が持ち得る可能性や意欲にフタをしているような結果が起きていないのか も含め、
ワーキングプワーや、ニートなる言葉が生まれてしまうような社会情勢のなかで、その背景に見合った制度に本気で変えていかないと、これからの人たちにまた大きな課題を遺してしまうと思います。

昼夜逆転した生活、浪費癖、何らかの依存症、片づけられない家、ネグレクト、過去の犯罪歴etc・・・
それらの原因には、発達障害などの脳の機能的・器質的な障害が隠されていることもあり、関わりが困難なのは言うまでもありませんが、そこに変化を起こしていくのがプロの仕事です。
ケースワーカーや就労支援員などの、関わる人々が対象者とどんな関係をつくっていけるのかによって、
人の人生が変わっていくのです。

専門のトレーニングを受けたプロたちはさらに腹をくくり、自分の持ち場で本気で対象者と関わり、
そして生保の制度は、対象者の本来の“健康的生活”を支援することが、自立を促すことにつながると思うのです。

制度の見直しは、実は給付額を下げる以外のところにも鍵があり、それこそが、人間同士の関係性によるものです。
なかなか文言に表せないところを背負うのは、今、現場でがんばっている関係者なのかも。





もっといろいろ話したいことはあるのだけれど、
これから和歌山に帰って、南海トラフ対策にもう少し念を入れてくるつもりです。
我が町は地震後の津波が20mの可能性があることが新聞にも載ってしまい、対策はまだあるなって。

からだがふたつ欲しい・・・












  
  • LINEで送る


Posted by やまさき あおい at 10:23Comments(2)自己実現