2012年02月15日

福島で就農








もう10日ほど前になるかな、
毎日放送で深夜に (これまた深夜枠です。スポンサーがつきにくかったのかな?) 放送された番組が印象的でした。


番組タイトルは「映像’12 福島で生きてゆく~都会から来た就農者の日々~」
内容は、
福島県二本松市に県外から移り住んだ就農者たちの“東日本大震災後”を追ったドキュメンタリーで、ひとくくりにできない葛藤と決断が描かれていました。



以下は産経新聞豊田昌継記者の記事です。

 東京生まれの関元弘さん(40)は元農水官僚。6年前に移住し、有機野菜栽培に取り組んできたが、被災。福島第1原発から45キロ離れた同市にも放射性物質は飛来し、6月下旬まで一部葉物の出荷停止を余儀なくされた。

 現在では9割以上の販売先が以前のように取引に応じてくれるという。妻子を抱える関さんは「原発の問題は自分の中で整理できている。どうしようもできない大きな流れには従うしかない」と前向きに解釈している。

 大阪から5年前に移住した元大手電器メーカー社員の海老沢誠さん(47)は「里山再生」を目指した矢先の被災だった。昨年9月には妻が家を出た。1人現地にとどまり、農業技術を習う一方、放射性物質による農地や作物への影響を独自に調査している。「福島を応援してくれる人は、情報を、自分で考え、正しく知ってほしい」と訴える。

 一方で、東京出身の近藤恵さん(31)のように“見えないもの”への恐怖がぬぐえず、現地での農作をあきらめ、離れる決意をする人もいる。

 同局の小林正典ディレクターは昨年10月、現地入りした。当初は「県外からの移住者」をひとくくりにできると思ったが、“温度差”があることを知り、オムニバス方式にした。「いずれも夢を持ってこの地に来られた方だけに痛ましく感じる。それぞれの葛藤と決断、シビアな状況をぜひ知ってほしい」と話している。


もう番組は終わりましたが、再放送のリクエスト電話やメールで、もう一度放送される可能性はありそうです。


農水省官僚で百姓になったときくと、「第2回百姓のすすめ」に出演していただいた沖津一陽さんも同じキャリアで、自然農のお百姓に転じました。
http://www1.linkclub.or.jp/~amal/text/school.html



番組の中で関さんは、まだ生まれて間もない赤ちゃんを抱きながら、「この子のためにも、いつまでも放射能を怖がっていても仕方ない。避難指定が出ている訳でもないし、ここで生きていくんだから。」というようなことをおっしゃっていました。

それはそれで、国の情報に基づき、それを信じて前向きにやっていこうとする姿に胸を打たれました。
有機農家同士でネットワークをつくり、福島の米・野菜の安全性を都会でPRするイベントなども催し、ほんとうに一生懸命がんばっていらっしゃいます。

さっそく彼のブログを拝見しましたところ・・・
http://nanaxsa.exblog.jp/

テレビでは紹介はなかったけれど、最近生まれた赤ちゃんの上にもお子さんがいらっしゃり、上のお子さんは原発事故後に東京のご実家に預け、離れて暮らしていらっしゃるそうな。
テレビに登場した下のお子さんも、母乳ではなくミルクをあげていたあたりも、ご配慮された上でベストな方法をとっていらっしゃるのかと想像しました。





Iターンで就農し、数年かけて有機栽培の良い土になり、さぁこれからというタイミングで原発事故が起き、福島での耕作を泣く泣くあきらめ去っていく人、
関さんのように、何とかして福島でこのままやっていくと決めている人、
どちらを選択しても、今後に多くの課題を抱えたままなのでしょう。


わたしは、やっぱり原発の再稼働とかはイヤです。
こんな思いを国民にさせてまで、原発にこだわらなきゃいけない実情を、
「いっぺんお母さんにほんとのこと話してごらん!face09ik_01」 













  
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Posted by やまさき あおい at 14:54Comments(0)震災・原発・エネルギー関連