2017年02月04日
しあわせの匂い
ふとんにもぐりこんだら、
フッとおひさまの匂いがする瞬間が大好きです。
今日のような、風のないあったかな冬の日は布団干し日和で、
ウチから見える家々も、
色とりどりのお布団や毛布が並んでいます。
平和な光景だなぁ~
今日は、お布団に入ったときに、思わず
「あ~!しあわせ~」って言う声が
あちこちの家で聞こえるんだろうな。
我が家もベランダに7枚も布団を並べて、眠る時を楽しみに。
今日は立春だね。
過去の2月4日の記事
http://self.ikora.tv/y0204
2016年02月04日
原発でできた電気は、結局高くつく。
今日はお金という観点で、原発を考えてみまひょ。
原発を動かすとできるゴミ(放射性廃棄物)は行き場がありまへん。
それは、だいたいの人が知ってると思う。
でも、どっかで、
何とかなるんちゃうのん?って思ってる。
処理ができないようなものを採用するなんて、そんなオバカなことを政府の役人や、有識者がやるはずないとも思うしね。
私だって、「そんなバカな、誰かが何とかするんちゃう?」と思っている一人です。
だからこそ、まずは、
今起きている事実を知りましょ。
使用済み核燃料の再利用をうたっていた「もんじゅ」だって、20年前のナトリウム事故以来、トラブル続きなのはご承知の通り。
その動いていない「もんじゅ」にも、一日当たり5000万円かかっていることを2015年12月11日の日経新聞の記事で、私も初めて知りました。
一日5000万だよ!!
それをこれまで何十年も続け、これからもそれを続行していこうとしているのが、今の政府です。
原発は絶望的な危険をはらむだけではなく、
原発でつくった電気は、決して決して安くはない!
原発を動かしている限り、命や安全とは、ま反対のところで、膨大な金がじゃぶじゃぶと使われているんだ。
そのような構図ができてしまっている、と言った方がわかりよいかな。
私たち市民にできることは、
原発を動かすことによって、莫大な税金が使われていることを知り、賢い選択をしていくこと。
関連記事
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151228-00161894-newsweek-int
春から電力の自由化が始まります。
わたしは原発をもたないところから電気を買います。
2015年02月04日
後藤健二さんの遺志
これはわたしの日記なので、やっぱり書いておこう。
忘れないように。
あんなふうなむごい死に方をする結果になってまで、後藤さんがやろうとしていたことを忘れないために。
目の前の現象やネガティブな感情だけに翻弄されて、肝心なことを置き去りにされないためにも。
自分の息子の遺影を放心状態でながめていただろう母親が、ガラスの上から後藤さんの頭をなでて、「けんちゃん・・・」と言って嗚咽された姿に、子どもの頃の「けんちゃん」が無邪気に遊んでいる様子が想像されて、胸がつぶれそうになりながら一緒に泣くことしかできなかった。
わたしなら、家族にこんなことがあったなら、とても正気ではいられないと思います。
ご家族の悔しさ、苦しさ、辛さをほんの少しでも軽くできる方法があったら教えて欲しいと神さまにお願いしました。
後藤さんが書いたものや話していたことからして、あの場に及んで「自分を助けて欲しい」という気持ちはなく、言わされていた。
ただ、憎悪や不安の感情を与えることになってしまったことや、大きなエネルギーを費やす事件になったことをとても悔やんでおられると感じます。
後藤さんだけではなく、覚悟のあるジャーナリストはみんな命を懸けてやっている行為だと思います。土壇場で命が欲しくなるような性根では、そもそも戦場のようなところには行かないです。
後藤さんがやろうとしていたことは、内戦や国同士の戦いで、傷ついたり殺されたりする子供や女性を救おうとしていたこと、そしてそのことを日本はじめ他国にも伝えなければ、「この戦争はなかったことになる」という思いからです。
もっと根底にあるのは、「人と人が殺し合うような戦争はやめよう!」ということだと思います。
だから、この事件の後に、
日本の首相が述べたような「関連諸国と手をとり、罪をつぐなわせる」とか、昨日、ヨルダンが行い始めた報復と見えるような行為は、後藤さんをあの世でもさらに悲しませることになりませんか。
後藤さんはじめ、伝えられていないだけで世界中にいるだろう同じような死に方をした人々に、
「あなた方のお陰で、世界は平和に向かって歩み始めていますよ」って、わたしが死んだときに、あの世で報告したいです。
ひとりひとり、
いまここで、
平和につながることができると思っています。
それは、何かを一生懸命訴えることじゃなくても、
身近な人への愛を行動で示すこと。
その小さな芽こそが世界平和の芽なんじゃないかな。
いまここで、
平和につながることができると思っています。
それは、何かを一生懸命訴えることじゃなくても、
身近な人への愛を行動で示すこと。
その小さな芽こそが世界平和の芽なんじゃないかな。
違うかな?後藤さん。
あなたが亡くなってからも、わたしの周辺では何ら変わりない日常があります。
こんな大きな事件でありながらも、仕事場ではもちろん、誰しもこの話題を避けたい心情があるのか、わたしはこのことについて人と話すことが今日までありませんでした。
新聞もテレビも、この話題が出ているので、もう見たくないとさえ思うこともあります。
でも、あなたが伝えたかった、地球上の複数の地域で悲惨な現状があることを、こんな形で大きく広く知らされることになりました。
だから今、そのことこそを人々は語り合い、考えていかなければならないのだと痛感するのです。
世界中の人々が、人としてあるべき生き方ができるように、どうか天国から見守っていてください。