2011年11月14日
年を重ねるということ
近頃は私も、老眼鏡がサマになってマイリマシテ。
こめかみや、生え際もシルバーグレーになり、
ほうれい線はくっきりで、そこにまたファンデーションがたまっちゃって・・・
あ~じゃ、こ~じゃと加齢現象をいうならキリがなくて。
今月27日の、ホリスティック医学協会関西支部の催しは、
「ヘルシーエイジング」がテーマなんだけれど、
いまここに、数々の加齢現象にジタバタしているあたしがいるんだよね。アハハ(^0_0^)
80歳近くなった親を見ていても、学ぶところは大きいよ。
自分が年をとり、足腰がいうことがきかなくなってきたことを受け入れられず、
「はがゆい」といつも口にしながら、こんなはずじゃない自分にイライラしている。
こうなると、「まだ動いてくれるところ」や、「今、あるもの」に意識がまわらないみたいです。
失ったものばかりが気になり、年をとったことをある意味、受け入れられないでいる。
長い年月、その時々を懸命に生きてきた人生なのに、
年老いてから不満と心配ばかりをかかえてしまっている親に、子として何ができるのか。
ひとりっこの私には今、そのこともおっきな課題です。
私たち夫婦は子どもがいないので、
年をとってからの過ごし方をだいたい決めているし、
PPK!(ピンピンコロリ)で幕を下ろすために、何年も前から心身の準備をしていますが。
次へのお引越しは、それらのためにも必要なことなんだな。
Posted by やまさき あおい at 11:58│Comments(2)
│人心緑化
この記事へのコメント
土岐様
「この世はかなしみの器なり」という言葉を思い出しました。
≪生まれる≫ということ自体が、その人生で起きる出来事を、自分自身が了承しているのだと感じることが、この頃あります。
「この世はかなしみの器なり」という言葉を思い出しました。
≪生まれる≫ということ自体が、その人生で起きる出来事を、自分自身が了承しているのだと感じることが、この頃あります。
Posted by あおい at 2011年11月26日 04:37
超高齢社会を目前にして、絶望的な考えに引きずり込まれそうになることがあります。
心の平穏を保つことが難しい。
どこかに心をなだめてくれる人や情報がないものかと、考える日々です。
こんな時、宗教の勧誘がくれば、救いの手に見えてしまうのだろうと思うも、差し出すものもない老人には、勧誘さえ来ない。
心の平穏を保つことが難しい。
どこかに心をなだめてくれる人や情報がないものかと、考える日々です。
こんな時、宗教の勧誘がくれば、救いの手に見えてしまうのだろうと思うも、差し出すものもない老人には、勧誘さえ来ない。
Posted by 土岐 at 2011年11月19日 10:08
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