2011年08月13日
ごめんなさい
人間はなぜ
地球上に存在できたんだろって考えたことはないですか?
これだけ水や空気を汚し、緑を奪い、母なる地球のおなかのなかで原子爆弾の実験をしたりする人間を・・・ なんで命を与えられ、子孫繁栄を許されたんやろ。
先日の夫との会話のテーマでした。
別段、正解なんてないのですが、ふたりのなかでは、
きっと、エゴの塊のような人間が、
長い歴史のなかで様々な経験をし、
智慧と技術を身につけ、
それが、あるときは人同志が殺し合ったりすることにもなるのだけれど、
最終的には、もともとの善なる存在として、
弱いものを助け、分け合い、共存し、 (このあたりは私個人的には、ちょっと言い足りないのだけど)
自然とともに生きる姿へと進化成長していく、
そのためにガイアという生命体は存在しているんだ。
みたいな話になりました。
進化成長していくために必要なもの。
いろいろあると思うのですが、私たちの日常でも実践しやすいものはというと、単純だけど、年をとるほどに素直な気持ちをもつことと、自分が悪いことをしたら反省することじゃないかと思うのです。
人を傷つけた、
やけになってケンカをした、
パワハラにセクハラ、事件まで起こしてしまった・・・
人間は間違ってしまうからこそ、やってしまったら、ごめんなさいと謝り、もう二度としないと心に誓う。
でもまたやってしまったら、もう一度謝り、これからは起こさないようにと誓う。
そんな繰り返しが生きることの意味でもあるんじゃない?
この頃の大人の社会をみていると、“素直と反省”から、うんとうんと遠ざかっているように思うんです。
もともとヤマトの人間は、
真・善・美が心の底に根付いているので、
そこと違うことをやっていると、本人が一番苦しいはず。
カウンセリングでは、この善なるものが動き始める人が少なからずいます。
長い眠りについていた自分のなかの善なるものに戸惑い、まるでそのような自分を信じないようなそぶりを見せる人もいますが、それこそが本質なんだよね。
「素直と反省」なんて、まるで今日は、キオスクで売ってる200円のPHP誌みたいになってしもたわ~ (^_^;)
でもね、
こういう実際的なことのなかにこそ“祈り”がこめられているのではないかと思うし、霊性も高まるのではないかと思うのです。
家の近くの空き地が、ある日ひまわりの花でいっぱいになってた。
誰かが種を蒔いてくれたんだな~
ステキやな~
Posted by やまさき あおい at 17:19│Comments(1)
│ちょいとスピリチャル
この記事へのコメント
お初コメントを入れてから、ブログサーフィン状態です。(笑)
特に何年か前のこの記事は心底共感します。
「もともとヤマトの人間は、
真・善・美が心の底に根付いているので、
そこと違うことをやっていると、本人が一番苦しいはず。」
というくだりと、
「こういう実際的なことのなかにこそ“祈り”がこめられているのではないか」という言葉から想像したのは、何か象徴的なものの前で手を合わすことより、祈りは日々の生き様のなかにあるということか。
生き様を通して祈れるということか。
特に何年か前のこの記事は心底共感します。
「もともとヤマトの人間は、
真・善・美が心の底に根付いているので、
そこと違うことをやっていると、本人が一番苦しいはず。」
というくだりと、
「こういう実際的なことのなかにこそ“祈り”がこめられているのではないか」という言葉から想像したのは、何か象徴的なものの前で手を合わすことより、祈りは日々の生き様のなかにあるということか。
生き様を通して祈れるということか。
Posted by 思わず2回目 at 2014年08月14日 08:36
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