2010年03月25日

生死不二

私が生まれた時、
みんなは喜びほほえんでいた。
泣いているのは私一人だけだった。

私が死んだ時、
みんなは悲しみ泣いていた。
喜びほほえんでいるのは私一人だけだった。



誰の言葉かは知りませんが、
言い得ているなと思います。

昔々、読んだ本の中に、どこかの国の少数民族は、
赤ちゃんが生まれた時、他の先進国のような祝い方をすることはなく、
人間に生まれて様々な体験をすると決めた魂を静かに迎え入れるというようなことが書かれてあり、
「やっぱりな」 と、ホッとした覚えがあります。

当時はまだ、身の回りでこんな思想にふれる機会がなかったので、
まだ子供のあおいチャンは、海の向こうにはこんな考えの人たちもいるんだと安堵した記憶があります。

どう考えても生きることが辛かった、少女時代の思い出です。




大人になり、いろいろな宗教観や、ホリスティックな思想、トランスパーソナルな考え方などにまみれまくりface10icon10
特に心理を学ぶ頃も、自分のなかの病理性に気づかされ、それはそれでまた他人には言い難い苦しみがありました。





で、今。


東洋哲学にも、身土不二・心身一如・物心一如・自他一体・生死不二などの言葉があり、
経験と年齢を重ねるごとに、これらをリアルに感じることが多くなりました。


あ~そう言えば、20年ほど前に受けたセミナーで、『死をたぐりよせる』ようなワークがあり
「今、私は死んでいく。誰に何を伝えたいか?!」という体験をさせられ、
そのことも、その後の私の人生に多大な影響を及ぼし、生きることに本気度が増したかな。


死が近づいてくると、自分が何者なのか、大切なものは何か が鮮明になるようです。
ウダウダと不平不満不安を言ってる場合でもなくなりますし、
汗水たらして稼いだお金も財産も死んでしまったらナンの意味ももちません。



ほんとうのこと
ほんとうの命
ほんとうの存在

      
私にとって生きることは自分自身との和解かな。
      あなたにとってはどうですか?


何度も自分が壊れるほどの悲しく辛い経験をしたことで、
ある意味“大いなる開き直り”?に導かれ、
意味の追求から、意味の開放に至ったころから
ふてぶてしく生を謳歌できるようになったとさ。 (^_-)-☆



生死不二


生死不二


生死不二

                         いろんな記憶を秘めている南紀州の山桜たち
















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Posted by やまさき あおい at 20:27│Comments(0)人心緑化
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