2019年10月13日
からだは魂のいれもの?
世界保健機関、WHO健康の定義
健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいます。(日本WHO協会訳)
というこの健康の定義に、一時期、
「かつ霊的に」という文言を書き加えることを議論されたと聞いたことがあります。
それが本当かどうかは知りませんが、
素人ながら、命をもつひとりの人間として感じることは、
頭と心はつながっているような気がするけど、
それ以外の何か偉大で逆らえないもの?
生れる前からすでにあった“自分”みたいなものを否定できない経験があります。
ただこれを語りはじめると、
あらぬ方向へいってしまっては不本意だし、
もうちょっとの間、宝箱に入れてリボンを結んでおこう。
我が心の師、僧侶の野口法蔵師が、近頃、
シスターの鈴木秀子さんの勉強会に参加しておられるとお聞きし、
なんだかそれだけで、心が安らぎを覚えたりして。
仏教とキリスト教、
輪廻に関しては真反対の考え方であるけれど、
「修行と祈り」というお二人の本を読み進めると
「同じ」とか「違う」とか言う表現さえ、無用のものだと感じるのです。
『死は肉体からの解放であり、そこに宿っていた魂がなくなることはない。』
と言ったのはインド独立の父といわれたガンジー。
難しいことはわかりません。
でも、
このからだは借り物なんだろうな、という気がしているから
借り物は大事に使って返さなきゃ。
ここ30年近く続いているストレッチ。
来る日も来る日も
呑んで帰った日も。
旅先でも。
鉄棒で逆さになって、内臓をひっくり返したり、
散歩の時は2キロの養成ギブスだし。(≧◇≦)
今日は本当はスピリチャルペインのことを書きたかったのに、
心の準備ができてなくて、茶化してしまいました。
Posted by やまさき あおい at 22:15│Comments(0)
│ちょいとスピリチャル
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