2017年12月17日
野口法蔵師夫妻
その人のことを想うだけで背筋が伸びるという、私にとってはこころの師匠のような方。と言っても「弟子にした覚えはない」とおっしゃられそうですが。
臨済宗僧侶で坐禅断食指導者の野口法蔵さんです。
京都に来られているとご連絡いただいた日、私はたまたまの休日。
あ~、これも仏さまがもたらしてくださった“偶然”です。
野口法蔵さんのお名前を初めて聞いたのは2002年。
岡山の山奥で「医療の自給」を志し活動していた頃、「ものすごい断食合宿をやっている僧侶」の話があちこちから聞こえてくるようになりました。
坐禅断食を行うことによる数々の効果効能もさることながら、この僧侶の存在自体が医師の間でも話題になっていて、当時は書店やネットでは買えなかったようなマニアックな著書を数冊取り寄せ読みました。
そのうちにぜったい会いたい人物になり、翌年には修験道本山・金峯山寺で、私にとっては初回となる坐禅断食に参加できたのでした。
その後もご縁はつながり、
私たちが沖縄に移住してからもスピリチャルメディカルツアーをご一緒に企画実施したり、和歌山の山中で宿を運営していた頃も、断食指導者の研修場として使っていただくなど、法蔵師の精神にふれる機会を都度与えられたことも、今のわたしの根源的なものに影響しています。
今回、3人で話をしたなかで思いをあらたにしたことを抽象化し、自分の言葉で書き留め、のこします。
この世では
偉業を成し遂げた人は注目称賛され
あの世では
来る日も来る日も畔の草刈りに精をだしていた老婆が
至福の毛布を広げて迎えられるだろう
偉業を成し遂げた人は注目称賛され
あの世では
来る日も来る日も畔の草刈りに精をだしていた老婆が
至福の毛布を広げて迎えられるだろう
もうひとつ
人間は生身
生きているあいだは聖人君主にはなり得ない
嫌いは嫌いでけっこうじゃないか
赤い血潮をたぎらせ生きればよい
生きているあいだは聖人君主にはなり得ない
嫌いは嫌いでけっこうじゃないか
赤い血潮をたぎらせ生きればよい
2~3か月に一度は会いにいき、般若心経を響かせ、
清めていただく琴の滝
Posted by やまさき あおい at 09:59│Comments(0)
│ある日のお客さま
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