2019年01月06日

ディ-プエコロジー






沖縄在住時、琉球大学で生と死に関する哲学を履修した際、ディープエコロジーの概念が授業で出てきて、胸がジンジンするほどときめいた。

若いころから環境保護活動などに勤しんでいたけど、一定のところまでくると目に見えない分厚い壁が立ちはだかり、絶望を感じることが少なからずあった。
1995年頃だったか、オーストラリアの環境活動家アンニャ・ライトさんに出会い、それまで自分を覆っていた感覚は“ディープエコロジー”という言葉で表すのが一番近いと思い、得体のしれない「分厚い壁」は、自分の心がつくりだしたものだったことに気づいた。

環境活動というと、どうも「何かに反対する運動」のイメージがある。
実際若かりし頃は、この世の経済活動そのものに嫌悪感を抱いていた時期がありつつ、
でも、自分だって肉体をもった人間だし、そのあたりの幼いジレンマが「分厚い壁」をつくっていたのだと思う。


さて、ディープエコロジー。


なかなか言葉で表現することができなくて、4年前、写真絵本にしたのがコレ。icon15
http://self.ikora.tv/e1043724.html


その数年前もディープエコロジーについて書こうとして、結局逃げた。(ToT)/~~~
http://self.ikora.tv/e74121.html


自分のボキャブラリーの貧弱さゆえ、未だディープエコロジーを言葉で表わすことができないでいる。




ただ、
森の中であじわう何者かとの一体感・・・・・
あれを言葉にするとディープエコロジーとか、ワンネスとかになるのかも。

今も過去も未来も
自分も森も川も
絵具を混ぜたように溶け合う感覚。。。。。


ほらね、
あやしくなるやろ。face07




初詣はいつもの小倉神社



屋根のこの不均衡さ、非対称の美に魅せられるんだ







  
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Posted by やまさき あおい at 23:44Comments(0)ちょいとスピリチャル「一粒の雨の記憶」