2018年09月10日

怒涛の9日間





これはわたしの日記だからやっぱり記録しておこう。

8月31日夜間、突然、実家の隣町の総合病院の医師から電話あり。
母が救急車で搬送され、今は意識があるもののいつ亡くなっても不思議ではない状況が起きているので、ついては延命処置についてどうするかという内容だった。

普段の母の様子からは予想もできないことを僅か5分程度で話をされ、驚きと不安で心がいっぱいになり、悲しささえ感じず頭が混乱した。
でも、回答なしでは医師も困ると察することができ、とりあえず私が到着するまでに、ことが起きたときの希望を伝え、取るものもとりあえず3時間余り車をとばして病院へ。

母の病状もさることながら、母に生活を依存していた父がどうしているかが大いに気になった。
22時半ごろ病院に到着したときには、適切な処置のおかげで、危険な状態は少し落ち着いていた。
父をひとりにできないので、夫が家で父の様子をみるために帰宅し、私は病院の待合室で朝まで待機。

翌朝、母は手と胸にチューブ、口には人工呼吸器をつけながらも、「検査時間が長い」と文句を言うまでになっていた!
足腰立たずとも、口だけはいつも達者。周囲の者のため息を誘うほどに。
でも一時血圧の高い方が80ほどになっていたことや、おしゃべりしていても程なく亡くなるようなこともあるらしく、担当医師の表情は硬かった。

【1日、2日】
救命センターの医師や看護師が皆とても親切で有りがたい。
母は熱があるものの、よくしゃべる。
投与された薬の影響もあり意識がトリップ?しているのか、これまでにないような突飛な会話の内容に不安になるが、とにかくあれこれしゃべる・・・

母の病院に通いながら、父が入所できるサービス付き高齢者住宅を探すために電話をしたり尋ねたり。
引っ越しの準備と諸手続きに奔走する。
母の治療費、父の入居費などの費用の段取り。
2日昼過ぎ、夫は仕事で京都に戻る。

父、母ふたりそれぞれのことについてケアマネさん、ヘルパー派遣会社の方への連絡、相談。
母入院先の病院までの往復や、後から後からやるべきことが噴出し、1日に100kほど車を走らせる日が続いた。
父のショートステイ先が見つかる。
睡眠不足でキツイ。
夢の中で諸手続きや用事をして、実際は実行していないことがわかったりで、なおさら捗らないことが起きる。
寝ていても電話が鳴らないか気になる。

【3日】
25年ぶりの大型台風がくるとのことで、台風対策。
田舎の百姓家はやたら敷地が広く、農作業の器具や生活するための道具などが、大きなものから小さなものまで、だだっ広い家や農地のあちらこちらに放置されていて、卒倒しそうになりながらも片づける。
他へ飛んで迷惑をかけそうなものが山とあるから。

母、短い時間なら車イスに座れるようになる。
救急搬送され、3日目で足を地につけられるって有りがたいことだなぁと胸いっぱい。
それでも本人は、できることになった感謝よりも、「まだできないこと」をうらめしそうに愚痴る。
相手が病人であろうが親であろうが、私の怒りもコントロール不能状態。
トイレに行って自分で用を足せるようになれれば、母のストレスも減るかな。

【4日】
台風の影響で停電のなか、父の食事や生活の支えを続けつつ、母用、父用のそれぞれの薬、着替え、入歯などなどを家の中から探し出して準備する。

猛烈な風雨で母を見舞えなかった1日。
それにしても、ものすごい風。
本州南端の町に育ち、台風には慣れているはずが恐怖でかたまる。

【5日】
母、人工呼吸器が外れ、チューブの数も減っている。
買い物、銀行、親戚への用事。
台風の後片付けは叔父と叔母が手伝ってくれた。感謝!

【6日】
父が施設には行かないと言い始める。家が良いに決まっているので、自分ひとりで家で過ごせると思いたいんだろうけど、物理的に不可能。
切なくはあるが説得する。

私自身の心身が悲鳴をあげている感じがするけど、「ここまできたんだから」と自分を励ます。普段からやっているからだのメンテナンスと呼吸法の効果を思い知る。
心の師匠も五体投地で祈ってくれ、念が届いた気がする。
目には見えないちからに頭を下げ、これまでの自分を振り返りもした。

父の引っ越しの日で、夫も再び休みをとって駆けつけてくれる。
父にとってはテレビが不可欠だし、夫がいないとどうしようもなかった。
町に一軒ある電気屋さんは、台風の影響でテレビ設置どころではない。
快くお休みをくださった夫の職場の皆さんにも感謝。
家から3往復し、ショートステイの引っ越し完了。雨がやんでいて感謝。

母の方については、関係する方々と話しリハビリを始める。
この日より、家から北へ25kの母の病院と、家から南へ10kの父の施設を往復することとなる。

【7日】
母は救命センターから一般病棟に引っ越し。
病状にも気持ちにも余裕がでてきて、持って来て欲しいもの、やって欲しいことがどんどん増える。
髪を巻くカーラーやスプレーまで希望し、体のあちこちにチューブがつながった状態でも見た目を気にしていることに気づく。
母の部屋の、ほぼ使わないだろうと思うようなモノの山の中から、母が要求するものを探し出す作業を、唇をかみしめつつ時間と戦いながら行う。
これまで、父母二人の生活のやり方を優先し、断捨離を無理にしなかったことを後悔した。
この作業で、自分は今からきっちり整理整頓しておこうと決心した。
文句を言いながらもこんなことをしてくれる子どもが、
   私たちにはいないのだから。

【8日】
父側のケアマネさんと介護リーダーさんとで、今後のリハビリメニューなどについて話す。
口周辺の表情筋と指のトレーニング、腹筋をつかった発声を入れていただきたいと希望した。
段々と父が話している言葉が聞き取れなくなってきていたので、リハビリの内容を確認すると、それらのメニューは人員不足でできないとのこと。
あちらこちらに相談し、週3回お世話になるホームヘルパーさんが、レクレーションの一環としてやってくださることになる。
これまでも私が直接チャレンジしたが、身内ではやってくれない。
専門家や他人が関わってくださる環境はとても大事だと感じる。
感謝。

家の中の片づけ、整理。
昔ながらの農家はやたら広くて、片づけは終わりがないとさえ思った。
あることも忘れ去られたような変形した衣類などを大量に出し、父母が生活するための導線確保をする。
病院に行って母のリハビリを見学し、かなりの回復を確認し驚く。
母の生命力と適切な医療の介入、関わる人々のご協力のおかげで、また元通りの生活ができる見通しができた。

そして今日、10日ぶりに職場復帰。



関わってくださった方々のお陰で、とりあえずの山を乗り越えられました。
ありがとうの気持ちでいっぱいです。















  
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Posted by やまさき あおい at 23:02人生の午後&メメントモリ