2015年04月22日
母と娘の確執
ようやく・・・
ほんまにようやく、
母親との確執、深い溝がうまりつつあると感じられるようになったこの頃です。
カウンセリングをしていても、自分と似たような“母源病”と同種の呪縛に囚われている人に会うことが珍しくない。
なんなんだろうね。
いい年して、良くも悪くも『母』という存在がおおいかぶさっていて、それをはねのけられない自分がいるんだよね。
母の期待に応えたい自分と、
自分は自分の人生を生きたいという希望とが葛藤してるのかな。
わたしの場合は、どこかで母をかわいそうと感じているために、自分だけは母に満足を返してあげなければという義務感もあることは事実でした。
でもいつの頃からか、
人はなんだかんだ言っても、結局は自分の思い通りの人生を生きているのじゃないかと思い始めました。
究極は「あなたが選び、あなたが望んだ人生でしょ!」ということが言えるかもって。
沖縄に住んでいた頃、
初夏に届いた母からの小包の中に、米や野菜と一緒に、みかんの花がたくさんついた枝が1本入っていました。
箱を開けたとたん、みかんの花の甘いあまい香りが広がり、ふいに涙がこぼれてオイオイと泣きました。
どうすれば、なんと言えば、この理不尽さをわかってもらえるだろうと、命がけで訴えてきたような時代もあったけれど、
自分の娘の幼少期から、生きることの苦しさや辛さをしみこませてしまったことなど知らないまま、母にその人生を終えてもらうことの方が尊いことだという気が、今になってしています。
今日、仕事が終わってから、名残りのサクラを探し歩いた。
夕暮れに際立つ白
根っこ近くから見上げるサクラ
子どもは、次に自分が計画した人生を生きるためにぴったりな親を選んで生まれてくるんだって。