2013年04月09日
自分としては、どう生きるか
数年後の自分へ
桜の季節ではあっても、浮かれきれない思いはあって・・・
そりゃそうです。
目には見えず関西では日常的に忘れがちだけれど、すでにばらまかれてしまった放射能の問題や、これからの原発に関してのこと、
TPPのこと、改憲に向かう動きのこと、この頃では北朝鮮の動きも大きな問題です。
身近な生活に関しても、それぞれの家庭で、今のこの日本の縮図のようなことが起きているかもしれません。
ひとつひとつを考え始めると、絶望的な思いになることもあります。
世界的にも国内でも、人間の行いであまりに理不尽なことが様々起きていて、それをどう考えたら良いのかわからなくなったりするからです。
でもまぁ・・・ 地球さんからみると、
あたしも人間のひとりだし、加害者としての一端に加担していることは否めないやろうなぁ・・・
訳のわからん政治家のすることも、どこかに私自身の責任もあるんだと思うんだよね。
「私自身」というのは、成人国民ひとりひとりもれなくということかもしれません。
だから、
起きていることは誰かの責任じゃない。
身近なことも、そして世界的な事象も。
今こんな世の中において、自分としてはどう生きるのかと問われているんだから、置かれたところで精一杯生きるしかないんだ。
・・・という考えになってから、あたしの場合は、
日常のなんでもない出来事がとてもとても愛しくなってきている。
毎日朝がきたら起きられて、仕事に行けて、ご飯が食べられて。
夜になり夫が仕事から帰って来ると、時々は胸が熱くなりそうなほど嬉しくて、何でもない日々の繰り返しに感謝してしまいます。
・・・・・ アタマオカシイ? (^_^;)
数年後の自分さん、
よく覚えておくんだよ、今の気持ちを。
イチョウの赤ん坊
寿命がくるまで繰り返す命