2012年12月01日
違いこそ美しい
数年前から「KY」などという言葉が聞かれはじめ、
“自分たちが良いと思っていること”以外の言動を誰かがしてしまうと、
「あの人KY」とレッテルを貼って、自分の居場所だけは確保したような気になる、
・・・というようなことって、学校でも職場でもみかけます。
「空気がよめている」ふりをするために消耗しきっている子どもたち。
おとなたちも同じく。
そんなに、皆と同じってことが安心材料になるんですかねぇ・・・
そういえば小学校の頃から、いわゆるツレション(あら?女子はこんなふうに言わない?)とか、「お昼休みはグループでお弁当」とかに興味がなかったあたしなどは、今で言うKYなことも多々あったかもしれないけど、別段いじめられた記憶も、仲間外れにされた覚えもありません。
・・・ん?
もしかしたら仲間外れにされていたかもしれないけど、それに気が付かなかっただけか?
だったら、本格的KYだね。
カウンセリングをしていても、クライエントさんの中には「皆と同じ考えや行動ができない自分」に悩んでいて、まるでそのことを欠点のようにとらえていることがあります。
だから「直さなきゃいけない」と信じてる。
『皆と違うところ』こそが将来、身を助ける生業になるかもしれないし、大きく言えば、生まれてくるべき理由だったし、生きている証かもしれないのにね。
違う色の集まりだから美しいんだな~
自分の色をもつことで、他の葉っぱを美しく見せることもできるんだね。
円明寺の派出所前のいちょうの木は、ただいままっ黄色
一枚いちまい違う形
人によって悩むべき事柄も違うんだよね。
あたしなんて公務員という環境にも身を置きながら、どうやって他者との違いを表現するかの方に興味しんしんだけど。(^_-)-☆