2011年02月07日

知らないことの罪









2月から朝日新聞夕刊一面で連載されている記事で、ハンセン病への差別がこれほどまでにひどいものだったことを知りました。
以前はらい病と呼ばれていて、強制隔離があったことなどは知ってはいましたが、
実は、きわめて感染力が弱い病気なのに、一度誤って伝えられると、容易にその差別はなくならなかったようです。

「家のためにがまんしろ」と父に言われて、17歳からハンセン病施設で隔離されて暮らし、現在86歳の桜井哲夫さんのことも紹介されていました。

うれしいとき、悲しいとき、津軽の母に手紙を書いた。書くと心が和むから。そして封筒いっぱいに、でっかく母の名を書いた。
でもポストに投函はしない。母が困るから遠慮するのだ。「消印のない手紙」という詩にこう書いた。

遠い遠い空のかなたで
消印のない封筒に封をし
心のポストに投函したら
ポストの底でコトンと音がしたよ
消印のない手紙には返事がこない



ハンセン病施設の男女が結婚した際、子供ができないよう精管を切る手術を求められたそうです。

「夫のふんどしが真っ赤な血で染まり、断種を受けたというのです。4組の夫婦がカーテンも障子もない12畳1間に詰め込まれて暮らしました。」と、もっとも言いたくはない証言を裁判のために語った83歳の女性のことも紹介していました。

まだ少女だった頃から親元を離され、辛い環境のなかで生きてきて、隔離施設でとはいえ、やっと結婚したい人と出会えたと思いきや、こんな現実を味わう・・・






毎年出かける“春いちばんコンサート”で知り合い、友だちになったKさんもハンセン病です。
鼻の穴が両方ともふさがっているので、はしゃぐと余計に息が苦しいやろうか・・とも思いはするけれど、かまわずステージ前にひっぱり出して踊りまくる。
手のひらに溶けてしまったような指の塊と手をつないで。

いつも人の気持ちをさりげなくフォローし、ムードメーカーのKさんも、こんな思いをしていたのだろうか・・・



世の中って知っていることより知らないことの方がずっと多くて、おまけに間違った情報を鵜呑みにして、そのことで同じ人間が言葉も届かないところで苦しんでいる現実。



そんな世界で生きている自分。


何ができるんだろ・・・











朝日夕刊『隔離の記憶』、今日の連載で8回目。まだ続いています。
















  
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Posted by やまさき あおい at 16:01Comments(0)人心緑化