2010年04月20日
命をつなぐ
あの~ ( ナンやねん('_') )
あなたもやはり、モノを考えるときに
根拠とか、科学的であるってことなどを重要視しますか? (なんや、またそのハナシかいな)
あたしは・・・
こう見えて、
けっこうアタマ固いですさかい (見たまんまや!)
沖縄のシャーマンの研鑽をしている頃も、
エビデンスを示せ、なんて迫られると、
「ハイッ! え~っとそれはぁ・・・・・ 」
な~んて、相手の要求に応えようと懸命になるタイプなんですよ。
今は堂々と
「そんなもんは あれしまへん」と、すまして言えるようになったのは、
山や谷をいくつか越え、それでもわからんもんはワカランままで良し!と思えるようになったからということもありますが、、
ほんとうに大事なことは、言葉にも文章にも形にもならへんのじゃないか?
って思いが強くなったからです。
たとえば、生命を作り機能させる遺伝子は、質量感ってあるんですかね?
ある人の本で、世界中の人間の遺伝子を全部集めても米粒の大きさにもならないとありましたが、
それってどんな“大きさ”なん?
他で調べてみると、
人間の体は約60兆個(6に0が13個)の細胞からできており、その中に遺伝子が入っている。
重さ 2000億分の1g。太さ 髪の毛1本の4万分の1。
遺伝子の数は30億個。百科事典700冊分の情報が遺伝子の中に入っている。
1000ページの本1000冊分の情報量が遺伝子に入っている。
という情報がありましたけど、えらい小さいモンなんやね。
物質的にはほとんど ない も同然です。
お百姓仕事をしていると、よくセンスオブワンダーな世界に誘われます。
野菜だって、
吹けば飛ぶような小さな小さな種から、
それぞれ大根になったり、白菜になったりするように、
私たちの命や存在があることも、奇跡がいくつも重なって“オギャー”って生まれてきたんじゃなかったっけ?
小さくて
かすかな
「種」たちにはそれぞれに意識があるように思えてならないの。
『わたし』をつくりあげてくれた種たちはどんな意識や願いをもち、
『わたし』をつくってくれたのだろう?
生ごみ堆肥を利用してプランターにお花を植えて楽しんでいたら、
ある日、ジャガイモの芽が出てきた。。。。。
発酵も終わらせた“小さくてかすかな命”でも、
条件が整えば新しい芽を出すんだな~